フォーレ レクイエム [声楽曲]

週末に1週間ぶりに自宅のメールをチェックしていて、びわこフィルのチェロ奏者の方の訃報が入っていた。
すでに葬儀も終えられた後であった。
まだボクよりも若い方で、ボクの妻と同い年くらいの主婦である。
かつてボクが在籍していたときも、とくに親しくお話しすることはなかったが、いっしょに練習し、同じステージにも上がった。
アマオケ2つを掛け持ちするくらいの熱心な方で、一所懸命チェロを弾いておられたお姿や、合間に見せた笑顔が今もボクの脳裏に浮かぶ。
5月のオーケストラの演奏会にも出演されていただけに、さぞご無念であっただろうと思う。
残されたご主人やお子様の気持ちを思うと胸が痛む。

心からご冥福をお祈りします。

天国ではチェロを好きなだけ弾いておられることだろう。


今年の正月に父を亡くしたときと同じように、こういうときにボクの心に浮かぶのはフォーレのレクイエムである。
ボクの父は演歌一辺倒の人であったからフォーレは似つかわしくないのであるが、彼女にはこの優しいレクイエムは宗教的に深く考えなければ、惜別に相応しい音楽かもしれないと勝手ながらに想像する。


1.成り立ち

ガブリエル・フォーレ(1845-1924)はサン・サーンスの弟子みたいであり、ラヴェルの師匠でもあった。フランスのロマン派~近代の作曲家であり、若いときはオルガニストでもあった。
歌曲、ピアノ曲、室内楽曲を主要なレパートリーとしたが、「レクイエム」はフォーレの作品中最も名曲として知られており、数ある「レクイエム」のなかでも珠玉の「レクイエム」であり、特異な「レクイエム」でもあるといわれる。

フォーレ自身は教会オルガニストを務めながらもけっして信心深い人ではなく、

「他人の信仰に敬意をはらう不信心者の作品である」
(ヴュイエルモーズ著『ガブリエル・フォーレ 人と作品』家里和夫訳・音楽之友社)

といわれている。
それまでのレクイエムでは常識であった「怒りの日」(神の厳しい審判を意味する部分)の楽章が省かれ、常套的なテキストもまるで歌曲でやるように部分的な削除や追加など改変を施し、形式的なレクイエムにおいてもフォーレはある意味斬新で好き勝手している。
フォーレは死者に対して厳しい音楽ではなく、あくまでも清らかな優しい音楽を捧げたかったようだ。


2.構成・編成

 フォーレ レクイエム 作品48
   第1曲 入祭唱とキリエ
   第2曲 泰献唱・・・バリトン独唱含む
   第3曲 サンクトゥス
   第4曲 ピエ・イエズ(慈悲深きイエズスよ、主よ)・・・ソプラノ独唱
   第5曲 アニュス・デイ
   第6曲 リベラ・メ・・・バリトン独唱含む
   第7曲 イン・パラディスム(楽園にて)

フォーレ指揮の初演時の第1稿(1887-1888)では、「泰献唱」と「リベラ・メ」を除く5曲であった。ソプラノ独唱と合唱、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、独奏ヴァイオリン(「サンクトゥス」のみ)、ハープ、ティンパニ、オルガンという編成で、オーケストラは弦楽合奏であった。

第2稿(1888-1894)ではバリトン独唱を含んだ「泰献唱」と「リベラ・メ」が追加され、現在の原典版(1888/1893バージョン)と呼ばれる編成になった。最近になってヘレヴェッヘやガーディナーによる演奏で有名になった。バリトン独唱に、ホルン、トランペット、トロンボーンが加わったが木管はない。あくまでもヴァイオリンはソロ1本だけであった。

第3稿になって、木管・・・フルート、クラリネット、ファゴットが加わり、ヴァイオリンもソロからテュッティに厚くなった。これが通常にオーケストラ演奏される版である。
フォーレ自身は出版社に頼まれてしょうがなしにこの「通常版」を作った。本当は室内楽編成とボーイソプラノの起用を望んでいたらしい。

いずれもヴァイオリンは1パートのみで出番が少ない(第1曲、第2曲はない)。第1ビオラ、第2ビオラ、第1チェロ、第2チェロ、コントラバスと弦セクションは中低声部を重視した編成である。

ちなみに「国際楽譜ライブラリープロジェクト」より第2稿(原典版、室内楽版)、第3稿(通常版)のフリーのスコアを閲覧できる。


3.CD

この曲の聴き始めはLPで

 (1)ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団
   シーラ・アームストロング(ソプラノ)
   ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ(バリトン)
   エディンバラ・フェスティバル合唱団

を、学生のときからポケットスコア片手に聴いていたが、もう長い間聴いていない。わかりやすい演奏だったと思う。フィッシャー・ディースカウの独唱が雄弁で力強かった。

CDになってからは長い間

 (2)ミシェル・プラッソン指揮 トゥールズ・キャピトル劇場管弦楽団
   バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)
   ヨセ・フォン・ダム(バリトン)
   サン・セバスチェン合唱団

を愛聴していた。プラッソンのフォーレ管弦楽曲全集がよかったので購入したが、今聴くとテンポはとてもゆったりしていて、くすんだ音色である。
ヘンドリックスのソプラノは透明感があって昔は好きであったが、ヘレヴェッヘ盤を聴くようになってから、抑揚の大きいビブラートが不純にさえ聴こえるようになってしまった。

 (3)ルイ・フレモー指揮 モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団
   ドゥニ・ティリニ(ボーイ・ソプラノ)
   ベルナール・クリュイセン(バリトン)
   フィリップ・カイヤール合唱団

これはデュリュフレ「レクイエム」自作自演盤との2枚組CDで買った。録音は古いがテンポは遅過ぎずに聴きやすい。ボーイソプラノはよく言えば純粋無垢であるが、あまり上手くない。もっと上手なボーイソプラノもあっただろうにと悔やまれる。

そして、いちばん気に入っているのは第2稿原典版による演奏

 (4)フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 シャペル・ロワイヤル
   アグネス・メロン(ソプラノ)
   ペーター・クーイ(バリトン)
   アンサンブル・ミュジック・オブリーク

のCDである。
初めてこのCDを聴いたときには、「通常版」に聴き慣れた耳にはヴァイオリンソロが鮮烈に聴こえた。
ヘレヴェッヘは古楽合唱・ピリオド演奏も手がける指揮者だけあって、とにかくハーモニーの美しさが格別である。
室内楽編成なのでハーモニーの純度が高いとも思う。
とくにピエ・イエズのビブラートも抑揚も控えめなソプラノ独唱には癒される(下記動画参照)。
ちなみにヘレヴェッヘは後に「通常版」も録音している。

 (5)エミール・ナウモフのフォーレ:レクイエム(ピアノ独奏版)

フォーレ:ピアノ曲全曲チクルス」の記事でも取り上げたが、エミール・ナウモフのピアノ独奏編曲版も、逆に「通常版」から究極に引き算して、そのエッセンスだけを抽出したような演奏で聴き応えがある。フォーレの作曲過程ではこんなんだったんだろうかとも想像する。ピアノ独奏を聴いていても頭の中では合唱や独唱が鳴ってしまうところが、ふつうのピアノ曲と違った味わいである。


4.参考動画

「通常版」の定評ある名演奏の動画を見つけられなかった。
ヘレヴェッヘの「原典版」から3曲を紹介する。


第3曲 サンクトゥス 


第4曲 ピエ・イエズ


第7曲 イン・パラディスム


ボクが最近気になっている女流指揮者で、アーノンクールにも師事したという合唱指揮者ロランス・エキルベイの動画(音源)も貼り付ける。
このプロモーションビデオは「レクイエム」のハイライトをうまくまとめている。

 
エキルベイ指揮 フォーレ「レクイエム」プロモーションビデオ


エキルベイ指揮 第4曲 ピエ・イエズ


エキルベイ指揮 第6曲 リベラ・メ


それと、エミール・ナウモフのピアノ編曲版より


第7曲 イン・パラディスム


5.ボクの思い出

ボクはフォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番に聴き惚れてしまって以来、フォーレはいちばん好きな作曲家である。最初は室内楽を聴いていたが、3大レクイエムの1つに数えられ、名曲の誉れ高いフォーレ「レクイエム」もバレンボイムのLPで愛聴した。
INTERNATIONAL MUSIC COMPANY のポケットスコアを買って、ひたすら聴き込んだ。
ボクは楽器に頼らなければ音程は取れないのだけれど、楽譜の音形を見ながら聴き覚えた旋律を思い浮かべることはできた。

就職して間もない頃、2ヶ月間、地方の工場で研修勤務を命じられた。国民宿舎に泊まって夜勤で工場のラインに立った。夜勤はきつく、日中に宿舎で休憩するときに、まだウォークマンなどなく大きなラジカセも持ってこれなかったので、ポケット・スコアを眺めては頭の中でフォーレ「レクイエム」を流していて、これが安らぎであった。

その数年後の東京勤務時代にはアマオケ「東京ロイヤルフィル」に入団して、モーツァルトを中心に充実したオケ活動ができた。
やがて大阪に戻ることになったが、戻った直後の演奏会がフォーレの「レクイエム」に決まった。
ボクは大阪に戻った後も、出張や私費で江東区の練習会場に通ってなんとか本番に出演できた。
このときのプログラムが

 1.モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲
 2.モーツァルト 交響曲第36番「リンツ」
 3.フォーレ 「レクイエム」
 アンコール フォーレ 「ラシーヌ賛歌」
 
 梅村 榮 指揮/東京ロイヤルフィルハーモニーオーケストラ
 常森寿子(ソプラノ)、小松英典(バリトン)
 井上圭子(オルガン)
 合唱:マイスターコーア
 1988年 4月 17日 石橋メモリアルホール

である。


当時のチラシ

本番のときの感動は筆舌に尽くしがたい。
井上圭子さんは当時アイドル並みに可愛いルックスの方であったが(現在も美しい方である)、オルガンの響きがホール全体に、そしてボクの身体中に響き渡ったのを感じていた。
レクイエムではコンマス以下ヴァイオリンの実力者のほとんどはビオラに持ち替えて弾いていた。
ビオラを弾けず、持ってもいないボクは出番の少ないヴァイオリンであったが、だからこそステージ上で合唱・独唱・オルガン・オーケストラの演奏を堪能した。
聴き惚れてわずかな出番を落としそうになるくらいであった。
アンコール曲は合唱側からフォーレの「パヴァーヌ」か「ラシーヌ」のどちらかということで、ボクの希望の「ラシーヌ」を通させてもらえたのが嬉しかった。
もちろん前半のモーツァルトの選曲といい、なんとお洒落なプログラムであったろうかと今思い出しても感慨深い。



≪追記 2010.8.22≫

第2稿(原典版、1888/1893 version)のスコア(フリー楽譜)を印刷・製本して眺めながら、ヘレヴェッヘ盤やエキルベイ盤を聴いてみたところ、おやっと思う箇所があった。
基本的には第2稿なのであるが、ところどころ違うことをやっている。

ボクが気付いたのは、

・第2曲 泰献唱
 オルガンソロの部分がホルン?の重奏に変えられている
・第6曲 リベラ・メ
 6/4拍子に変ったところのホルンのファンファーレが、楽譜では第3稿と同じ、2部音符のタイの音形のところが、4分音符の3連符になっている。
・第7曲 イン・パラディスム
 拍頭のコントラバスのピチカートの箇所が楽譜よりも多い。

などである。

ヘレヴェッヘもエキルベイも同じようにやっているので、第2稿にまとめられるまでにも過渡的な版があったようだ。
というか、フォーレはオーケストレーションに藻頓着な人だったようなので、演奏のたびに行き当たりばったりの間に合わせで済ませていたのかもしれない。


≪追記 2010.10.6≫
 
アンゲルブレシュト&フランス国立放送管弦楽団 の1955年モノラル録音が「クラシックmp3無料ダウンロード著作権切れ歴史的録音フリー素材の視聴、試聴」のサイトでダウンロードできたので、今日の木更津方面日帰り出張の新幹線車内でじっくりと聴いてみた。
第3稿であるが、これがとてもよい演奏であった。
オケは中低音ばかり聴こえて高音部が弱かったり、合唱は女性パートばかり聴こえてバランスが悪いが、音質そのものは少々硬いなりに良好である。
最近の録音のように耳当たりのよいミキシングなどされてなく、ストレートな録音のままであるが、それがとても自然に聴こえた。
何よりもソプラノとバリトンの独唱がまろやかで美しい。ただ1曲だけのソプラノ独唱の良し悪しが、その録音の「聴きたい/聴きたくない」を左右すると思うが、この録音は間違いなくこれからも「聴きたい」演奏であった。
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