「船に乗れ!Ⅲ ~合奏協奏曲~」 [本]

とうとう藤谷治 作「船に乗れ!Ⅲ」(ポプラ文庫)も読んだ。3月中旬にⅠ巻を読み始めてから2ヶ月で全3冊を読了してしまった。
最近のボクの、集中力に乏しく、読書スピードの遅いのにしてはよく頑張って読めた...というよりは引きずり込まれた本だった。

船に乗れ!Ⅲ.jpg


ボクのⅠ巻、Ⅱ巻のレビューでは触れなかったけれど、チェロ専攻の音高生サトルの物語には「クラシック音楽」以外にもう1つの大きな柱・・・「哲学」がある。
早熟でクソ生意気なサトルは小中学生のときから文学作品に親しんだり、哲学書を読み耽っていて、そんな自分を特別な存在と思っていたり、ちょっと世の中を斜めに視ているような少年だった。

Ⅰ巻では少しばかりニーチェにかぶれている。

サトルは哲学志向によって倫社の先生と意気投合するが、Ⅱ巻でははからずもその先生に裏切りともいえるひどい仕打ちをして運命を狂わせてしまう。
それはサトルのその後の大きな心の重荷にも自己嫌悪にもなっていて、ニ十年後の「現在」も引きずっている。

Ⅲ巻の終わりで「船に乗れ!」の題名が先生に教えられたニーチェの言葉であったことが明らかにされる。そして自分や仲間たちのその後を述べながら、波に揺られるのが人生の試練であり、不安定・不確実な自己を意味しているようなことを語って「船に乗れ!完」と本篇が締めくくられる。

いったん本篇が完結した後で、『再会』という後日談が用意されている。これがけっして蛇足ではなくてすばらしいエピローグである。
長い間触れてなかったチェロを修理に出して、プロのフルーティストとして活躍している友人のリサイタルに行く。そして許せなかった昔の自分と向き合って...と、とてもステキなエンディングだ。
本篇だけでも十分に青春小説としてはまとまっているのであるが、本篇でスッキリしなかったものが『再会』によって「落としどころ」に落ち着いたように思う。

ところでボクはこの小説でどうしても馴染めない点がいくつかある。

「おじいさま」「おばあさま」・・・ふつうに「祖父」「祖母」と書いてほしいところであるが、あえて主観的な人称によって主人公の「育ち」を際立たせた表現だろうか?、
いかに育ちがよくて音楽の専門教育を受けていようとも、三流の音高生で、自分の才能の限界にぶつかったサトルは、けっして「憧れ」の対象でも「羨ましい」存在でもありえない。「のだめ」に出てくるヒロイン・ヒーロー像とは真逆の青春像だ。むしろ大多数の「ふつう」のコースを進んできたボクたちよりもその人生は辛く苦しいものであっただろう。

ただ、そんなに育ちがよくなくても、専門的に音楽をやってなくても、哲学にかぶれていなくても、ある種の「理想」「夢想」を抱きながらも、現実や自分の能力の限界に妥協せざるをえなかった多くの人たち・・・「ふつう」のボクたちにも十分に共感できる青春像であったと思う。

文体も気になった。基本的には「だ・である調」というよりも軽めの「だ・した調」というべき文体で淡々と語られている。ところがN饗奏者でもあるチェロの先生の所作については必ずと言っていいくらいに「おっしゃる」「なさった」という丁寧語が使われているところが鼻につく。音高の他の先生では使われていない表現で、たぶん作者の実体験があっただけに、チェロの先生に対する尊敬の気持ちが込められてしまうのだろう。


Ⅲ巻の楽曲は、

・音高3年生の発表会の「合奏協奏曲」としてバッハの「ブランデンブルグ協奏曲第5番」
・音高オーケストラの課題曲のモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」

の練習風景や本番の演奏風景が克明に描かれている。

とくにブランデンブルグ協奏曲の本番の演奏場面は圧巻だ。才能あるフルートの親友とヴァイオリンソロの白熱したかけ合いは手に汗握る。



バッハ ブランデンブルグ協奏曲第5番 第1楽章 Allegro


バッハ ブランデンブルグ協奏曲第5番 第2楽章 Affettuoso  第3楽章 Allegro

カール・リヒター指揮・チェンバロ  ミュンヘン・バッハ管弦楽団


音高オケの「ジュピター交響曲」本番では物語がクライマックスに達する。

モーツァルト「ジュピター交響曲」はボクもアマオケで演奏経験があるだけに、作中でサトルがこの曲の難しさを語っている場面は手に取るように理解できた。
YouTube動画はボクがCDでも持っているテイト指揮イギリス室内管弦楽団の演奏である。かつてサントリーホールのこけら落としシリーズのコンサートで、内田光子のピアノ協奏曲とともに実演に接した組み合わせである。
現代的?なピリオドアプローチではないけれど、ボクにとってはモーツァルト演奏の理想像である(めんどくさいから全曲貼り付けちゃえ!)。



モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」 第1楽章(1/2)


モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」 第1楽章(2/2)


モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」 第2楽章


モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」 第3楽章


モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」 第4楽章

ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団
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「船に乗れ!Ⅱ ~独奏~」 [本]

この連休は結局、5月1日と5日の2日間しか休めなかった。
出荷前の装置の仕上げに掛かりきりだったので、連休の醍醐味を味わうどころか、ふだん以上にきつかった気がする。

それでも、5月1日は息子のヴァイオリン教室の発表会に行くことができて、実家の母(息子の祖母)も招待して、ちょっとばかりは親孝行らしいこともできた。
本来ならば息子のヴァイオリン演奏の動画をアップして記事にしたいところであったが、息子はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番という大曲に負けてしまって撃沈! 暗譜が真っ白になってピアノ伴奏だけが流れていく...今までの発表会にはなく可哀想な結末だった。父親としても呆然とする息子を前にして辛かったので、これ以上は触れないでおこう。

発表会の後は母も連れて家族全員で湖岸道路を少しドライブしてから日帰り温泉にも行って、休日らしい1日を楽しんだ。


連休のちょうど1週間前は、群馬への出張の行き帰りの新幹線の中で藤谷治 作「船に乗れ!Ⅱ ~独奏~」(ポプラ文庫ピュアフル)を読み終えた(今はⅢ巻を読んでいる)。
前にも紹介したⅠ巻では、チェロ専攻の音高1年生の津島サトルの希望にあふれる活き活きとした学園生活が明るく描かれていた。
Ⅱ巻ではサトルのラヴロマンスに焦点が当てられるが、やがて音高2年生になって、それが可哀想な展開になってしまう。

そういえばⅠ巻のプロローグに

 ボーイング747に乗っていたら「ノルウェイの森」がながれてきたわけでもない(引用)

と書かれていたのを深い意味もなく読み過ごしていたが、Ⅱ巻に到って納得した。
「ノルウェイの森」さながらに悲劇的なわけではないが、Ⅱ巻の終わりのほうはサトルの暗く屈折した心境の変化に読むのが辛くなってきた。それでも読ませるところは作者の自伝的作品らしく強い説得力が込められていたからにほかならないだろう。

船に乗れⅡ.jpg


Ⅱ巻でもクラシック名曲が関わってくる。


サトルがモーツァルトの歌劇「魔笛」公演のタダ券を手に入れて彼女をデートに誘ったときのロマンティックな楽曲解説が印象的である。
「魔笛」の主人公タミーノとパミーナが「炎の試練」と「水の試練」を乗り越えていく場面・・・これをサトルが自分たちの恋愛に重ねようとしているようにも思える。


モーツァルト:歌劇「魔笛」第2幕より「炎と水の試練」の場面


サトルの友人・フルーティストの伊藤くんの発表会のバッハのフルート・ソナタ・・・ここではサトルがチェンバロ以外に伴奏に加わるチェロでアンサンブル組んだ。


J.S.バッハ:フルート・ソナタ イ長調 BWV1032 (1/2)


J.S.バッハ:フルート・ソナタ イ長調 BWV1032 (2/2)
エメニエル・パユ(フルート)


サトルがチェロのレッスンで取り組む課題曲の1つがフォーレの「エレジー」。ボクも大好きな曲で、ヴァイオリンで練習したこともある。哀愁の漂う曲だ。


フォーレ:「エレジー」
ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)


2年生になってからは、音高オケでサトルがチェロトップを弾くようになって、課題曲がリストの交響詩「前奏曲(プレリュード)」だった。この曲の難度の高さにオケのメンバーは辟易する。
大編成のアマオケでもよく取り上げられる曲で、ボクは弾いたことはないが聴き馴染みのある曲である。


リスト:交響詩「前奏曲(プレリュード)」 1/2


リスト:交響詩「前奏曲(プレリュード)」 2/2
ダニエル・バレンボイム指揮 ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団 


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