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バッハ「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」BWV639 [器楽曲]

J.S.バッハ(1685~1750)はワイマール時代と呼ばれる時期(1708~1717、23~32歳)に、ザクセン=ワイマール公国の宮廷オルガニスト、後に宮廷楽団楽師長に就任し、若きオルガニスト・ヴィルトーゾとして活躍し、有名な「トッカータとフーガニ短調BWV538」などを残している。
この時期のオルガン小曲集BWV599-644として、ルター派讃美歌の前奏曲として45曲(46曲?)のコラール・プレリュードを作った。
そのなかでもとりわけ有名なのが

コラール前奏曲「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」
          "Ich ruf zu dir,Herr Jesu Christ." BWV639

である。

もともとの讃美歌は次のようなものであったらしい(讃美歌の楽譜も探したが見つけられなかった)。

 わたしはあなたに呼びかけます、主 イエス・キリストよ、
 わたしは願います、わたしの嘆きをお聞きください
 この日々の間、私に恵みをお与えください、
 わたしをどうか怯えさせないでください。
 真の道(信仰)を、主よ、わたしは思います、
 あなたはわたしにそれを与えることを望んでいると、
 あなたの為に生き、
 わたしの隣人に役立ち、
 あなたの言葉をそのまま守る為に。


ボクはまださしてバッハに興味を持っていなかった頃、タルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」(1972年、ソ連)を観て、テーマ曲だった電子音楽編曲でこの曲を知った。
この映画はボクの「マイベスト1」ともいえるほどのめり込んだ映画で、東京勤務時代はまだビデオなど持っていなかったので、ミニシアターでリバイバル上映されるのを仕事帰りに観に行った。

映画の美しさとこの曲の美しさはボクのなかでは渾然一体となっている。
この曲を聴くたびに、川の水流になびく水草や美しくも哀しいヒロイン・・・ハリーの姿が浮かんでくる。


タルコフスキーの「惑星ソラリス」は、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの"SOLARIS"(邦訳「ソラリスの陽のもとに」ハヤカワ文庫)を原作とした映画である。

惑星ソラリスの探査ステーション内で科学者たちに異常事態が起こっていることから、心理学者ケルビンが調査に送り込まれた。
ステーションに着くなり、ケルビンは科学者以外にいるはずのない「人影」を見かけるなど異変に出会った。やがてケルビンの身にも、むかし自分が原因で自殺したはずの妻ハリーが現れ、哀しい逢瀬を重ねていく。
自分が本当の妻でも人間でもないことに気付いたハリーが、それでも夫ケルビンのことを愛していて、周囲の科学者たち以上に自己の存在について人間的に苦しむ...といった姿が切なく美しい。

タルコフスキーの映画は原作以上に「人間とは何か」という哲学的とも宗教的ともとれる「問い」を突きつけている。
そこに流れるバッハのコラール・プレュードBWV639が、さほど甘美なメロディでもなく、禁欲的に感情が抑えられているものの、素朴な美しさを湛えていて、胸に響く。


ボクはずいぶん昔にLEA POCKET SCORESのJ.S.BACH "THE COMPLATE ORGAN WORKS VOL.II"のスコアを買っていた(現在ならフリー楽譜がダウンロードできる・・・P.55)。
この曲の演奏の入った


ヘルムート・ヴァルヒャ J.S.バッハ:オルガン作品集II 

と併せて買っていたようである(現在は違ったアンソロジーで「オルガン名曲集」になっている)。ヴァルヒャは速いテンポであまりにそっけなく弾いている。
YouTube動画のトン・コープマンはとてもゆったりと演奏している。


トン・コープマン(オルガン)


右手(ソプラノ)、左手(テノール)、ペダル(バス)の3声で書かれた曲を、このスコアをもとに友人らとヴァイオリン・ビオラ・チェロの弦楽トリオで遊び弾きしたこともあった。

ほぼ原曲のスコアを楽譜作成ソフトPrintMusic 2008Jに入力・MIDI出力した動画を作成したので、動く譜例として参照していただきたい。テンポはヴァルヒャに近い早い設定にした。


J.S.バッハ:オルガン(オリジナル)版 譜例(PrintMusic 2008J)


この曲はピアノ曲としてもブゾーニやケンプの編曲が有名である。
ブゾーニ版は


アンヌ・ケフェレック J.S.バッハ:作品集 ~主よ人の望みの喜びを

に入っている演奏を愛聴している。
ケフェレックは情感たっぷりに弾いている。

Youtube動画では、ホロヴィッツのブゾーニ版、ケンプ自身のケンプ版の演奏を紹介する。ケンプ版のほうがオリジナルに忠実なようである。


ウラディミール・ホロヴィッツ演奏(ブゾーニ編)



ウィルヘルム・ケンプ演奏(ケンプ編)

ブゾーニ版もフリー楽譜を入手できたので、PLAYLOG休止中に打ち込んで、動く譜例を作ってみた。ピアノ版はオルガン版より記譜がややこしく、制約の多い楽譜作成ソフト上では入力レイアウトするのに少々手間取った。
MIDI出力では音が汚いしバス声部がうるさいが、オリジナルのハ短調がフラットが1つ増えてヘ短調になっている他、バス部の音を分厚く重ねてデモーニッシュに響き、終止部分の繰り返しが追加されている。


J.S.バッハ/ブゾーニ編:ピアノ版 譜例(PrintMusic 2008J)


最後にタルコフスキーの映画「惑星ソラリス」より、この曲の流れる美しいシーンである。
もうボクはこの文章を書いているだけで、映画の場面が浮かんで涙が出てきた...


映画「惑星ソラリス」より
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ドビュッシー 前奏曲集全曲など [器楽曲]

近年、ドビュッシーはあまり聴いていなかったが、ウォークマンで系統的に聴く習慣になってから、フォーレからの流れでドビュッシーも聴きたくなった。
まずはピアノ曲から...


   ドビュッシー 前奏曲集全曲/ベルガマスク組曲・子どもの領分
     ミシェル・ベロフ(ピアノ) 
     録音:1970年、1979年、1980年
     (東芝EMI CE20-5431~32 CD2枚組)


ボクがいちばん好きな音楽(作曲家)は大学生の頃から、ずっとフォーレであることは変らない。
同じフランス近代音楽でもちょっとロマン派よりのフォーレの旋律美に比べると、印象派といわれるドビュッシーは旋律で聴かせる曲もあるが、より革新的な調性感であったり、ピアノの妙技性を出した曲が多いように思う。
ボクにとってはフォーレほどは聴きやすくはなく、ちょっと捉えどころがないような印象がある。

フォーレはラヴェルの師匠であったし、反アカデミズム急先鋒のドビュッシーをパリ音楽院院長としてアカデミズム側から擁護した人であったらしい。本当であったかどうかわからないがフォーレはドビュッシー夫人と不倫関係にあったようなこともいわれていて、ドロドロしてそうだ。

少々捉えどころがないような曲のなかでも

  亜麻色の髪の乙女
  沈める寺
  月の光

などは有名でとても美しい旋律である。

「亜麻色の髪の乙女」は映画「ジェニーの肖像」で使われていて、時空を超えた少女ジェニーとの逢瀬の切なさを醸し出していた。
春頃に原作本、ロバート・ネイサン作「ジェニーの肖像」(創元推理文庫)も読んだ。
「亜麻色の髪の乙女」を思い出して弾きたくなったので、ヴァイオリンピースを買って少しばかり弾いてみたが、重音のスケールやフラジオが難しかった。

          *         *         *

このCDはずいぶんむかしに購入していたものであるが、12月始めの出張のときに聴いて、年末に再度聴きなおした。
最初はウォークマンNW-S718Fの専用イヤホンが壊れたので、むかし買っていたオーディオテクニカのATH-CK31(1500円くらい)で聴いたのだあるが、ピアノの音がとても金属的・刺激的に聴こえ、ミシェル・ベロフのタッチがとても機械的で冷たいと思った。
Sarah Mania さんのお奨めの2万円ほどする高級イヤホンは手に出ないので、Amazonで専用のストラップ型ノイズキャンセリングイヤホンMDR-NWN20Sを購入した。
これで聴きなおすと、同じ音源でもミシェル・ベロフのピアノがいくぶんまろやかに聴こえた。

バッハ 平均律クラヴィーア全曲チクルス他 [器楽曲]

先週後半からグールドを中心にバッハを聴いていたが、今日は近鉄特急で「鹿せんべい工場」に往復する車中で聴き終えた。

(1)グレン・グールド バッハ:平均律クラヴィーア曲集
  第1巻・第2巻(CD4枚組) 
(2)ヴィルヘルム・ケンプ バッハ:平均律クラヴィーア曲集
  (抜粋) 第1集
(3)ヴィルヘルム・ケンプ バッハ:平均律クラヴィーア曲集
  (抜粋) 第2集
(4)アンヌ・ケフェレック 「瞑想~バッハ作品集」
  1.ブゾーニ編:コラール
   『主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる』
  2.カプリッチョ『最愛の兄の旅立ちにあたって』
  3.平均律クラヴィーア曲集 第1巻よりプレリュード第4番
  4.平均律クラヴィーア曲集 第1巻よりプレリュード第22番
  5.コーエン編:カンタータ 
   第22番『イエスは十二使徒をひき寄せたまえり』
  6.平均律クラヴィーア曲集 第1巻よりプレリュード第8番
  7.ブゾーニ編:トッカータ、アダージョとフーガ
  8.イギリス組曲 第2番よりサラバンド
  9.ヴィヴァルディ:オルガン協奏曲
  10.フランス組曲 第1番よりサラバンド
  11.イタリア協奏曲
  12.マルチェッロ:オーボエ協奏曲 アダージョ
  13.平均律クラヴィーア曲集 第2巻よりプレリュード第14番
  14.シロティ編:プレリュード
  15.シロティ編:プレリュード ホ短調
  16.ゴルトベルク変奏曲よりアリア
  17.ヘス編:『主よ人の望みの喜びよ』
  18.イギリス組曲 第3番 ト短調よりサラバンド
  19.ケンプ編:シチリアーノ~フルート・ソナタ第2番
  20.ブゾーニ編:『来たれ、異教徒の救い主よ』
  21.クルターク編(連弾):『神の時は最上の時なり』
   (哀悼行事のソナティナ)

グールドの「平均律」は、音がコロコロと際立っていて、各声部を明瞭に浮き立たせている。テンションが高く、ところどころエキサイトしたり、耽溺していて、たいへん面白い。
ボクはグールド信奉者ではないが、グールドのバッハは聴いていてクセになるような演奏である。

いっぽうケンプの演奏は派手さはないが、オーソドックスというか誠実さが伝わってくる暖かい演奏である。
第1巻第1番のプレリュードハ長調に関しては、グールドは最初からスタッカートで弾いていて、ケンプのようにレガート気味の演奏のほうが好きである。

「平均律」ばかり聴いているとフルコース料理に飽きてしまうような感じになるので、ケフェレックはデザートのようなつもりで聴いた。
こちらはポピュラー名曲集なので聴きやすい。ボクは映画「惑星ソラリス」のテーマ曲に使われた『主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる』が好きで、CDショップの試聴で気に入って買ったCDである。
ケフェレックはメロディをよく歌っていて甘美でおしゃれな演奏だと思う。たいへん口当たりがいいし、癒される。

フォーレ ピアノ曲全曲チクルス [器楽曲]

今朝のウォーキングでフォーレのピアノ曲全曲(たぶんほとんど)を聴き終えた、というか聴き流した。

(1)ジャン・フィリップ・コラールのフォーレ:ピアノ曲全集
  舟歌、夜想曲、前奏曲他、ピアノソロの全集

(2)EMIのフォーレ室内楽全集よりフォーレのピアノ連弾曲
  「ドリー」「バイロイトの思い出(フォーレ&メサジェ)」他
  ジャン・フィリップ・コラール&ブルーノ・リグット

(3)エミール・ナウモフのフォーレ:レクイエム
  (ピアノ独奏版)


コラールは昔、実演を聴きにいったことがあるが、そのときの記憶は残っていない。もともとピアノ曲はあまり好んでないが、ただフォーレ演奏家を聴けるというだけで行ったように思う。

歌曲伴奏でもいろいろと聴き較べたが、コラールのピアノはしっとりとしていてボクなりのフォーレ像にピッタリする。
フォーレのピアノ曲では「舟歌」、特に1番がいちばん好きだ。波間に揺らめく暖かい陽光のようだ。
フォーレの音楽は後期あたりになるとあまり甘美な旋律が少なくなって孤高の境地に入る。
弦楽器を含んだ室内楽曲では後期の作品でも聴きやすいが、ピアノ曲はわかりにくい。
フォーレ独特のアルペジオ(分散和音)はピアノならではの美しさがあるが、控えめな旋律線はピアノの減衰する音ではわかりにくい。
弦楽器や声楽のほうが旋律美を味わいやすい。ただ、濃厚にやりすぎるとフォーレらしさが失われてしまう。フォーレはそういうきわどさというか繊細さが魅力だと思う。

「ドリー」はオリジナルのピアノ連弾より、オーケストラ編曲版を先に知っていたが親しみやすい曲である。「マスクとベルガマスク」組曲第1曲もピアノ連弾曲があって、モーツァルトのオペラ序曲風で楽しく美しい。

ナウモフが自らアレンジしたレクイエムのCDは面白いが、ピアノ独奏のためか、ナウモフの鋭いタッチのせいか、オリジナルの穏やかさが失われて、かえってどぎつく聴こえる。
フォーレのレクイエムは、ボクはアマオケ(東京ロイヤルフィル&マイスターコーア)の演奏で経験したので思い入れの深い曲である。ピアノソロを聴いていても、頭の中で合唱や声楽が鳴ってしまう。
併録された歌曲「月の光」のピアノソロ版なども楽しめるのであるが、ナウモフのピアノは辛口過ぎて、やっぱりコラールの甘さ・暖かさがほしいと思った。

モーツァルト ヴァイオリンソナタ チクルス [器楽曲]

昨日の帰宅中にボクが持っているモーツァルトのヴァイオリンソナタの全CDを聴き終えた。

全CDといってもモーツァルトのヴァイオリンソナタ全40曲ではなく、15曲の選集で、いわば「ベスト盤」とでも言おうか。
まず分売で購入していたツィンマーマン(Vn)&ロンクィッヒ(pf)の選集4枚組。後に発売された5枚組セット物では小品集も追加されているのであるが、いまさら4枚ダブって買うのはもったいない。

 CD1 #35 K.379、#40 K.454、#42 K.526
 CD2 #30 K.306、#26 K.302、#24 K.296、#33 K.377
 CD3 #29 K.305、#32 K.376、#34 K.378、#36 K.380
 CD4 #25 K.301、#27 K.303、#28 K.304、#41 K.481

ほかに、フランチェスカッティ(Vn)&カザドシュ(pf)のライブ盤より
 #24 K.296

グリュミオー(Vn)&ハスキル(pf)の名盤
 #26?(34) K.378、#21?(28) K.304、#24?(32) K.376、#18?(25) K.301

も併せて聴いた。
グリュミオー番は旧番号をふっているのでケッヘル番号を見ないとややこしい。

ツィンマーマンのモーツァルトは若々しい爽やかでハッキリした演奏で、ロンクィッヒのピアノもコロコロしていて心地よい。
ツィンマーマンが「楷書」とすれば、グリュミオーは「行書」のような演奏である。流麗でロマンティックな演奏である。
ボクは聴いたことはないが、ティボーやフェラスあたりだったら「草書」のようなモーツァルトを弾くだろうか。古楽器ピリオド奏法のモーツァルトは「隷書」かもしれない。
フランチェスカッティのライブ盤は録音が悪くて聴きづらいが、あまり崩さずにカッチリと弾きながらも、色気を感じさせる演奏である。

モーツァルトのヴァイオリン・ソナタはいい曲がたくさんあるが、特に好きなのはK.304 ホ短調である。
2つの楽章だけで十分に完成度の高い曲だと思う。
1楽章は凛とした厳しさと哀しさがあり、ト短調交響曲(40番)の1楽章にも通じるようなものがある。
2楽章は、とても切なく美しい。ボクは始めのピアノソロを聴いたときからウルウルしてきて、ヴァイオリンの旋律が始まると涙を抑えきれないくらいの気持ちになる。それでも最後には厳しく強く締めくくるのである。もうこの2楽章の後には何も要らないと思う。
モーツァルトはいくつもすばらしい曲を書いているが、そのなかでもK.304は小粒ながらピリリと輝く宝石のような音楽である。


ヴァイオリンソナタK.304にまつわる思い出がある。

ボクが社会人になりたての頃、半年くらい京都市交響楽団のビオラ奏者だった吉田實先生のヴァイオリンレッスンに通った。
最初はグノー「アヴェ・マリア」、グルック「メロディー」、ヘンデルのソナタ3番などを習ったが、次はモーツァルトのソナタK.304と言われて楽譜のコピーを渡された。ところが、これからというとき突然、東京転勤になってしまい、吉田先生のレッスンを受けられなくなった。
今にして吉田先生のモーツァルトのレッスンを受けておきたかったとつくづく思う。
吉田先生にはしっかりと太い音を出すように指導されていた。
ボクのボウイングは筋がいいと褒めていただき、自信をつけてくださった。
オケで弾くと演奏が荒れるからオケ活動は控えるように言われて、当時先生が主催されていた弦楽合奏を勧められたこともあった。
先生のお宅でレッスンの後にお酒を出されて、シェリングのモーツァルトのレコードを聴いたり、音楽談義に耽ったりした。
吉田先生の師匠は、フランコ・ベルギー派の指導者マルシックのお弟子さんだったと聞いた。ティボーもマルシックの弟子だったので、ボクもティボーとつながっているんだと勝手に思い込んだりして喜んでいた。
とても楽しかったヴァイオリンレッスンの思い出である。

ヴァイオリンソナタK.304は後に2楽章だけピアノ伴奏で弾く機会があった。
思い入れの強い曲だけに力んでしまって、美しいメロディーの音を外してボロボロになってしまった。
吉田先生のレッスンを受けていれば、もう少しマシに弾けただろうなと思った。
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