LPレコードをウォークマンで聴く [その他]

中学生の頃から小遣いでレコードを買うようになって、祖父の形見のステレオで聴いていた。
そのステレオもずいぶんとくたびれてきてから、公立高校に受かった約束でダイレクトドライブのそこそこのレコードプレーヤーとアンプを親に買ってもらった。
大学生になってからスピーカーもまともなものを買って、社会人になるまでそのステレオコンポでレコードを聴いていた。

最初は高価だったCDも、ボクが社会人になった頃からLPと同程度の価格で普及し始めた。
CDプレーヤーを買うよりも先にシーア・キング(イギリス室内管のクラリネット奏者)独奏のモーツァルトのクラリネット五重奏曲/協奏曲のCDを買って会社の寮の先輩のCDプレーヤーで聴かせてもらっていた。
自分でヤマハのCDプレーヤーを買ってからは、取り扱いが慎重なレコードから手軽なCDに移ってしまい、すっかりレコードを聴かなくなってしまった。

そのうち高校生の頃に買ってもらったレコードプレーヤーも壊れてしまった。

レコードを聴けなくなってからも、シュターデ、ティボー、フランチェスカッティ、ブーレーズなどのお気に入りのLPのいくつかはCD化されたものを買い直していた。



ガブリエル・フォーレ少年合唱団「フォーレ合唱曲集」

ガブリエル・フォーレ少年合唱団「フォーレ合唱曲集」のように、CDで入手が困難なものがあって、どうしてもそれを聴きたくなって、今から3年前にONKYOのUSBデジタルオーディオプロセッサーSE-U33GXとSONYの廉価のレコードプレーヤーPS-V800を買った。


デジタルオーディオプロセッサーSE-U33GX
レコードプレーヤーPS-V800

このレコードプレーヤーはベルトドライブで、ピックアップも安っぽくて、むかし持っていたプレーヤーに比べると貧相であった。
それでも久しぶりにガブリエル・フォーレ少年合唱団の「ラシーヌ賛歌」を聴いて感激した。
「フォーレ合唱曲集」に関しては以前にブログにも書いた。


プレーヤーのアナログ出力をデジタルオーディオプロセッサーを介して付属のソフトDigiOnSound5 L.E.でパソコンに録音した。


DigiOnSound5 L.E. のウィンドウ

MP3ファイルを作ってみたが60Hzのハム(電源)ノイズが乗っていて、弱音部ではブーンと低周波音が気になった。
しょうがなしにソフトでノイズリダクションしたが、そうするとAMラジオの音のように音像が甘くぼやけてしまった。
他にオリビア・ニュートン=ジョンの「そよ風の誘惑」や「クリアリーラブ」のアルバムも録音してみたが、ノイズリダクションするとクリヤに変換することができなかった。

これが限界かと、そのうちLPレコードのパソコン録音をあきらめてしまった。

それから3年経って、パンゼラのフォーレ「優しい歌」/シューマン「詩人の恋」のLPを無性に聴きたくなってきた。
そしてリトライしてみた。


電源ノイズがAD変換に乗っているということは、

・パソコンからはUSB接続でDC電源供給
・レコードプレーヤーからオーディオピンコードでアナログ入力

のデジタルオーディオプロセッサーにおいて、内部までノイズが乗っているということである。

たぶんDELLのパソコンの電源ノイズが怪しいと思った。
そこで、

・パソコン内部のの何本もある電源出力コードにフェライトコアをはさ
 みまくる
・USBケーブルをフェライトコアに巻きまくる
・オーディオピンコードをフェライトコアに巻きまくる

をいっぺんにやってみた。
結局どれが効いたのかはわからないが、結果としては耳に聞こえるレベルのハムノイズがなくなって、ノイズリダクションしなくてもそこそこの音質で聴けるようになった。


こうして、手始めに

・シャルル・パンゼラ(バリトン)、アルフレッド・コクトー(ピアノ)
 フォーレ「優しい歌」/シューマン「詩人の恋」

のLPをmp3ファイル(128kbps)に録音して、ウォークマンで聴けるようになった。
SP復刻盤LPなのでスクラッチノイズは少なくないが、割とそこそこの音質である。手間ひまかければスクラッチノイズを1つずつリダクションすることもできるようであるが、そこまで面倒なことをする根気はない。

次に

・パスキエ三重奏団
 モーツァルト:ディヴェルティメント K.563

・フリードリッヒ・フックス(クラリネット)
 ウィーン・コンチェルトハウス弦楽四重奏団
 モーツァルト:クラリネット五重奏曲
 ブラームス:クラリネット五重奏曲

・コレギウム・アウレウム合奏団員
 モーツァルト:オーボエ四重奏曲/ホルン五重奏曲

と最高で320kbpsのmp3でパソコン録音してみた。
もちろんトラック割りや余分なところのカットはマニュアルで処理してトラックダウンを進行中である。

近々

・ガブリエル・フォーレ少年合唱団「フォーレ合唱曲集」

も再録音しようと思うし、CDでも入手できるものもあるが

・モウリーン・マクガヴァン「わたしの勲章」

・ギドン・クレーメル
 バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲(旧盤)

・レナード・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィル
 ベートーヴェン:交響曲全集

・ダビッド・オイストラフ
 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全集

・ミシェル・プラッソン指揮 トゥールズ市立オーケストラ
 フォーレ:管弦楽曲全集

・アンドレ・プレヴィン(ピアノ)
 ウィーン・ムジークフェライン四重奏団
 モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番/第2番

・カザルストリオ
 ベートーヴェン:大公トリオ

等々、お気に入りだったLPを少しずつパソコン録音してウォークマンで聴けるようにする予定である。

たいへん地道で面倒くさい作業ではあるが、少年時代から聴いていたLPを復刻して再び聴ける喜びを味わっている。


ちなみに、ボクがどうしても聴きたかったガブリエル・フォーレ少年合唱団の「ラシーヌ賛歌」がYouTubeでアップされていたのでリンクする(残念ながら音質は悪い)。
この美しさは、ボクには「天上の音楽」としか思えない。


ガブリエル・フォーレ少年合唱団「ラシーヌ賛歌」
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ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」 [協奏曲]

ボクはちゃんと音感教育を受けてきたわけではないので、しっかりとした調性感は持っていない。
でもヴァイオリンを弾くときのウォーミングアップではハ長調の音階練習(ピアノでいう白鍵の音階)と、これから練習する曲の調の音階練習くらいは欠かせないが、どうも「移動ド唱法」的な感覚のままである。

しっかりと音感を磨かれた方は、調ごとに異なった「色」が見えると言われる。ボクにはどうしても理解できない感覚である。
いっぽう調性感を身につけた方で、近代音楽以降の調性が崩れてきたような音楽を受け入れるのに抵抗があると言われる方もいた。ボクは少々の転調や無調っぽいメロディーがあっても聴く分にはさほど抵抗はない。弾くときは臨時記号がいっぱいあると、頭が混乱したりシフティングに戸惑って辟易するが...

しかし、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンあたりの「無調」とか「12音技法」の音楽とよばれるもの、いわゆる「前衛音楽」らしい「現代音楽」はなかなか聴き辛いものがある(それらは21世紀にもなって、もはや「前衛」でも「現代」でもないれっきとした「クラシック」であろうが...)。
メロディーとして耳に入って来ない。青白い音響のように聴こえるのである(そういう面では「色」が見えているのであろうか?)。

オーストリア~ウィーンの作曲家アルバン・ベルク(1885-1935)は、「現代音楽の父」とも言うべきアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)の弟子で、同じく弟子だったアントン・ヴェーベルン(1883-1945)とともに「新ウィーン楽派」を築いた作曲家である。
あくまでもボクの主観であるが、ドビュッシー/ラヴェルがモネ/マネらの「印象派」の絵画に喩えられるのに対して、シェーンベルク/ベルク/ウェーベルンはクリムト/シーレらの「ウィーン分離派」に喩えられるように思う。
シェーンベルクの後期ロマン派らしい甘美な部分にクリムト絵画のような「なまめかさ」を感じるとともに、新ウィーン楽派の音楽に退廃的・破滅的な「美」を感じるのである。


http://www.amazon.com/Violin-Concerto-Berg/dp/B00000DNP8/ref=cm_lmf_tit_17[  ベルク&ストラヴィンスキー ヴァイオリン協奏曲
  ・ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」
  ・ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
  ・ラヴェル:ツィガーヌ
    フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン)
    ジャンルイジ・ジェルメッティ指揮
    シュトゥットガルト放送交響楽団]


モーツァルトのヴァイリンソナタの鮮烈な演奏を聴いて以来、ドイツの中堅ヴァイオリニスト~フランク・ペーター・ツィンマーマンが好きである。
その流れで10数年前に買った「ベルク&ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲」のCDであるが、そのときはまだベルクの音楽には馴染めなかった。ストラヴィンスキーもバレエ音楽三部作と「プルチネルラ」は聴いていたが、それ以外は受け付けなかったので、聴きなおすことのないCDであった。

最近はブーレーズでモーツァルトの「13管楽器のセレナーデ」とカップリングされたベルクの「ピアノ、ヴァイオリンと13管楽器のための室内協奏曲」のCDを聴くようになったり、ドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲全集を聴いていると少しばかり無調のメロディーが出てきて、そういうものに馴染んできたようである。
それで、このCDも久しぶりにウォーキングの「ながら」で聴いているとけっこう耳にすんなり入って来た。

このCDはベルク-ストラヴィンスキー-ラヴェルと聴き進むにつれて聴きやすく馴染みやすくなる。
ベルクのインパクトがいちばん強いが、逆の順番で聴いたほうがベルクもより聴きやすいようである。

ベルクのヴァイオリン協奏曲(1935年)には「ある天使の思い出に」と副題がついている。マーラーの未亡人であったアルマ・マーラーが再婚後に生んだ娘・・・18歳のマノン・グロビウスが小児麻痺で亡くなり、これを悲しんで着手したといわれる。

第1楽章(Andante、Allegretto)冒頭は、ヴァイオリンの開放弦4弦による(G-D-A-E-E-A-D-G、ソ-レ-ラ-ミ-ミ-ラ-レ-ソ)のアルペジオをテーマに穏やかに始まるが、その後の展開でも常に悲しみ・不安に包まれた暗い雰囲気である。ときおり現れる伴奏音形が美しい。
わかりやすいメロディーはないので、この先どう展開するかわからないまま粛々と音楽が進んでいく。
独奏ヴァイオリンはとらえどころのないメロディーではあるが、ツィンマーマンのヴァイオリンの音色が美しく、その背後で断片的にオーケストラが激しく盛り上がったり、美しく響いている。

第2楽章(Allegro、Adagio)は、Allegroで激しいオーケストラ全奏で始まった直後に、ヴァイオリンの苦痛に歪んだような、うめき声のような演奏が続く。後半はAdagioにテンポを落としてけだるい曲想が続くが、徐々に晴れ間が広がってきたような清涼な響きになり、フィナーレはアルペジオで上昇した後の長々と続く終止音のロングトーンで安らかに終わる。


≪YouTube動画≫

フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン)
アラン・ギルバート指揮 NHK交響楽団
ベルク:ヴァイオリン協奏曲


第1楽章(1/2)


第1楽章(2/2)


第2楽章(1/2)


第2楽章(2/2)


こちらを好まれる方もいるだろう...

諏訪内晶子(ヴァイオリン)
ピエール・ブーレーズ指揮 
グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ
ベルク:ヴァイオリン協奏曲


第1楽章


第2楽章(1/2)


第2楽章(2/2)
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ドヴォルザーク:弦楽セレナーデ [管弦楽曲]

最近は声楽や合唱に関係した記事ばかりになってしまったので、今回は弦楽合奏の名曲・・・ドヴォルザークの弦楽セレナーデを取り上げる。
(今朝の早朝ウォーキングでもウォークマンのプレイリスト登録した3つの演奏を改めて聴き比べていた)


ボクはアントニン・ドヴォルザーク(1841-1901)の曲は苦手で敬遠しがちである。東欧・ロシアの国民楽派と呼ばれる音楽はあまり好きではない。
とくにドヴォルザークは土臭いというか、泥臭いイメージが先行して、ついていけないのだ。
アマオケではとくに管楽器奏者に人気の高い交響曲第8番やスラヴ舞曲集にしても、室内楽では弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」やピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」にしても、泥臭いメロディーや土俗的なリズムが鼻について苦手なのである。

と言いつつも、実のところボクの偏見であり、聴かず嫌いであることはわかっている。

泥臭いと言いながらも「演歌」のようなメロディーがふんだんに散りばめられた、交響曲中でも最もミーハーな交響曲第9番「新世界より」は大好きなのである。
「新世界」は第1回国民文化祭の合同オーケストラに参加してスロバキアの指揮者オンドレイ・レナルト氏に振ってもらった演奏経験がある。ただ「外タレ」に振ってもらったというだけでボクは有頂天に感動して「新世界」が好きになってしまった。
この曲ほど能天気に楽しんで弾ける曲はなかなかないと思う。

もう1曲「弦楽セレナーデ」もドヴォルザークのなかでは例外的に大好きな曲である。
ボクはこの曲はについては有志と遊び弾きして難しかったというくらいの演奏経験しかない。
ドヴォルザークが1875年にブラームスが審査員を務めた作曲賞を受賞し、尊敬するブラームスに認められた直後に2週間足らずで書き上げた曲だといわれている。それだけに前向きな喜びや希望を感じさせる作風に思える。
ドヴォルザークのなかでも比較的に泥臭さが少なく、洗練された美しさを湛えた曲だと思う。弦楽合奏の究極の美しさを現している。
甘美でありながらも、同じく有名なチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」ほどは甘ったるくないところもいい。

             *     *     *

「弦楽セレナーデ」は実演はアマチュア弦楽合奏の危うい演奏しか聴いたことがない。アンサンブルの難しい曲なのだ。

CDではメジャー指揮者+メジャーオーケストラや東欧系演奏団体による演奏が一般的かもしれないが、ボクが聴いている3枚はいずれも民族色よりもアンサンブル偏重でちょっと異色の演奏かもしれない。 

(1)http://www.arkivmusic.com/classical/album.jsp?album_id=146800[クリストファー・ホグウッド指揮
  ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
   ・ドヴォルザーク:管楽セレナード ニ短調op.44
   ・ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調op.22 ]


(2)http://www.hmv.co.jp/product/detail/1997616[長岡京室内アンサンブル(音楽監督: 森悠子) 
   ボヘミアからの風
   ・スーク:弦楽セレナード 変ホ長調 作品6
   ・ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調 作品22
   ≪ボーナスCD≫
   ・ヴィヴァルディ: 協奏曲集作品8「四季」
   ・ヴィヴァルディ: フルート協奏曲「海の嵐」]

(3)オルフェウス室内管弦楽団
   ・チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調op.48
   ・ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調op.22
   ・ヴォーン=ウィリアムズ:グリーンスリーヴズによる幻想曲    



(1)のホグウッドは1970~80年代にピリオド(古楽器)演奏の雄として大活躍した人で、エンシェント室内管弦楽団とのモーツァルト交響曲全曲録音で清新な演奏を聴かせていた。もともとはネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団のメンバーでチェンバロ奏者/校訂スタッフでもあった。
当時は古楽畑からモダンオケ・・・ロンドンフィルを振ってのドヴォルザークは意外な組み合わせであった。
今は入手困難なCDのようであるが、ボクはこのCDは名演奏だと思う。フルオケの弦セクションで人数は多いが、厚ぼったくならずアンサンブルは緻密で、しかも「弦」が豊かで、濃い演奏である。1stヴァイオリンが微妙にピッチを上ずらせて「濃厚感」を漂わしている。テンポの緩急、抑揚、そしてスリリングで、弦楽合奏の美しさが最高であると思う。


(2)の長岡京室内アンサンブルは指揮者なしの小編成アンサンブルによる演奏である。
ボクが一度だけ長岡京室内アンサンブルのコンサートに行ったときは、ヴァイオリン:7、ビオラ:3、チェロ:2、コントラバス:1の編成で、チャイコ弦セレやモーツァルト「アイネク」などを聴いた。
このCDは、ボクが所属していたアマオケ「東京ロイヤルフィル」の代表であった西脇義訓氏が本職はレコーディングプロデューサーで、フィリップスレーベル退職後に独立された fine NFレーベル で制作・販売している。CD・SACD兼用のCDでたいへん高価であるが入手しやすい。
西脇氏は東京ロイヤルフィルのときもアマオケなりに理想のハーモニーを追求していた方だけあって、内外のプロ演奏家とのパイプを生かして、JAO(日本アマチュアオーケストラ連盟)のキャンプ等でも森悠子氏ら著名演奏家を招いて啓蒙活動を繰り広げておられる(参考:JAO機関紙2011年国民文化祭関係記事)。

長岡京室内アンサンブルの音楽監督・ヴァイオリニストの森悠子氏は故齋藤秀雄氏の弟子で長く海外でアンサンブル研鑽を積んでこられた方で、アンサンブルのスペシャリストである。「合わせる」方法として「聴いて」「見て」合わせるというだけではなく、武道のような「間合い」や「気」などを取り入れて指導されている。
例えば、メンバー全員をあえて互いに見えないように立たせて、集団のなかで「気」を感じたり、「呼吸」を合わせることによって、「合わせる」といったトレーニングを積んでいる。
長岡京室内アンサンブルは国内の新進気鋭奏者を集めたアンサンブルであるが、森悠子氏のもとで精緻なアンサンブルと純度の高いハーモニーを追求している。
この演奏のハーモニーの透明感は他では味わえないと思う。ピリオドアプローチを取り入れた演奏でところどころノンビブラートでふわっとハーモニーを響かして美しい。「透明感」というと、言い方をかえれば少人数の薄さでもあるが、微妙な間合いや揺らぎも自然で流れるような演奏である。


(3)のオルフェウス室内管弦楽団も指揮者なしのアンサンブルで、アメリカ在住のハイレベルの演奏家によって、アンサンブルの極限を追求してきた団体である。
こちらは長岡京の「集団型」とは違って、メンバー個々の演奏能力を結集してアンサンブルを追及しているように思う。
ところどころ「合わせる」ことが目的になり過ぎているようで、発音のアクセントがきつい(音のエッジを立て過ぎている)のが気になる。自発的で上手い演奏であるが、(1)(2)に比べると音楽性が薄いように思う。

             *     *     *

YouTube動画は、ヤロスラフ・クレチェク指揮/カペラ・イストロポリターナによる演奏が、全曲アップされていたので貼り付けた。音源はNAXOSのCDなので廉価で入手しやすい。
スタンダードというか穏やかで「民族的」な演奏だと思うが、ゆったりとし過ぎていて少々土臭さが鼻につく。

ちなみに動画の絵は、スペインのキュビズムの画家ファン・グリス
(Juan Gris、1887-1927)による。


1.Moderato


2.Tempo di Valse


3.Scherzo:Vivace


4.Larghetto


5.Finale:Allegro Vivace
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ジョスカン・デ・プレ:ミサ曲「パンジェ・リングァ」 [声楽曲]



  http://www.hmv.co.jp/product/detail/332614[ジョスカン・デ・プレ
   ・ミサ曲「パンジェ・リングァ」(舌もて語らしめよ)
   ・ミサ曲「ラ・ソ・ファ・レ・ミ」
    ピーター・フィリップ指揮 タリス・スコラーズ]


ジョスカン・デ・プレ(1440?-1521)はフランス北部あたりの出身で、ルネスサンス時代のフランドル楽派とよばれる作曲家・声楽家である。レオナルド・ダ・ヴィンチと親交があったともいわれている。
はるかバロック音楽以前、ヴィヴァルディやJ.S.バッハより200年以上も前である。
いわゆる Early classical music のジャンルで、ボクはこの曲も含めてCD4作品くらいしか聴いてないので、生半可な知識しか持っていない。
ジョスカン・デ・プレはフランスやイタリアで宮廷や教会で活躍していて、当時の最高の作曲家と称されていた。
フランドル楽派としては、ギヨーム・デュファイ(1400-1474)やヨハネス・オケゲム(1410-1497)の系譜の大作曲家であったといわれている(いずれこのあたりを聴き深めていくうえで関わってくる作曲家だろう)。

ミサ曲「パンジェ・リングァ」はジョスカン作曲の名曲として、合唱作品、宗教音楽として親しまれている。4声のア・カペラの合唱曲である。

  Kyrie eleison  憐れみの賛歌
  Gloria in excelsis  栄光の賛歌
  Credo  信仰宣言
  Sanctus  感謝の賛歌
  Agnus Dei  平和の賛歌

の5曲で構成されているが、この曲のモチーフであるグレゴリオ聖歌"Pange Lingua"(邦題「舌もて語らしめよ」あるいは「声をかぎりに」)がこのCDの冒頭で歌われている。

グレゴリオ聖歌は9世紀以降に教会の典礼音楽として、無伴奏・単声の聖歌として伝承・発展してきたといわれる。ボクの素人主観としてはお経のようにも聴こえる。
グレゴリオ聖歌は、教会旋法といって12音よりも少ない音階による単声音楽ながらも、その後のポリフォニー(多声音楽)の発展に寄与してきたといわれる。
1つは分散和音的に、あるいは曲によっては離れた音の高低が二声の進行のように聴こえたり、教会の残響で和声的に聴こえたり、この曲のようにポリフォニー音楽の素材としても扱われてきたりと、影響したのであろう。

ミサ曲「パンジェ・リングァ」は、5曲ともグレゴリオ聖歌"Pange Lingua"を展開したといわれているが、ボクには1曲目の"Pange Lingua"を展開したKyrieをモチーフに、残り4曲が連なっているように聴こえる。


イギリスのヴォーカルグループ「タリス・スコラーズ」は総勢8名ほどで、女性ソプラノ、カウンターテナー、テノール、バスの4声合唱で演奏している。

この演奏のお奨めは「純度」の高さである。

編成が大きくなったり、調性的に発展するにしたがい、音楽は複雑になって(それだけに醍醐味が増し、面白くもなるが)、純粋な響きから遠のいていると思う。
現在聴いているたいがいの音楽では、ハーモニーの広い「誤差範囲」を、幅広いビブラートや人数(豊かな倍音)による分厚い響き(揺らぎ)や音色でカバーしているので、それを音響的には「美しい」と感じている。
それに慣らされた耳には十分ではあるが、たまにはあっさり・さっぱりとした「基本」に立ち帰りたいと思う。
だからといってグレゴリオ聖歌ではあまりに禁欲的過ぎて楽しめない。ちょうどよいところが、このルネスサンスのシンプルな多声曲である。

この曲に限らず、タリス・スコラーズはビブラートを極力抑えて、少人数によるア・カペラ合唱であることで、濁りの少ない「純度」の高いハーモニーを聴かせている。
ちなみに同じくルネスサンス音楽でピエール・ド・ラ=リューのレクイエムを歌ったホルテン指揮アルス・ノヴァのア・カペラ合唱のCDもたまに聴いているが、タリス・スコラーズほどにはビブラートが抑制されていない。アルス・ノヴァは「ふつう」の合唱よりははるかに透明感はあるが、ビブラートの箇所に濁りが感じられるので「純度」の点で物足りない。
やはり「純度」の高さはタリス・スコラーズならではと思う。

平均律に対して純正調のハーモニー(に近い)ということもあるだろうが、このあたりの議論には自信がないのでさらっと流しておこう。

この曲に限らずタリス・スコラーズの演奏を聴いていると、心が洗われるとか、癒されるとか気分的なものにとどまらず、もっと感覚的に耳が澄んでいくように思う。


YouTube動画では、タリス・スコラーズの演奏ではないが、初めにグレゴリオ聖歌"Pange Lingua"を紹介する。


グレゴリオ聖歌"Pange Lingua"


ここからがジョスカン・デ・プレ作曲 ミサ曲「パンジェ・リングァ」で、タリス・スコラーズの演奏である。


ミサ曲「パンジェ・リングァ」 Kyrie、Gloria


ミサ曲「パンジェ・リングァ」 Credo


ミサ曲「パンジェ・リングァ」 sanctus & benedictus


ミサ曲「パンジェ・リングァ」 agnus dei I,II,III



             *     *     *


ボクはヴァイオリン演奏やアマオケプレーヤーとして音楽を楽しみながらも、自身の発声は苦手なのでもともとは声楽や合唱には(好きな作曲家からの派生以外では)興味がなかった。
というか、たいがいはゴージャスなオーケストラ曲やシックなピアノ曲あたりからクラシック音楽にハマっていくものだと思う。

そんなボクが声楽や合唱を好んで聴くようになったのには2つの理由がある。

1つはヴァイオリン演奏するうえでの「歌」(カンタービレ)。

レッスンでもオケでももっと歌うようにと要求される。「歌」とは何か、基本は人間の発声する音楽の抑揚であり、自分で歌うのが苦手であれば、せめて「歌」を聴いて味わえるようになりたいと、ドイツ歌曲(リート)ならシューベルト、フランス歌曲(メロディ)ならフォーレを好んで聴くようになった。
それと、楽器でも歌うように演奏することで、より音程がよくなっていくとも言われたことがあった。淡々と楽譜どおりに弾くだけでは、自分のテキトーなクセのある音程でなぞってしまうだけであったが、「歌」を意識することによって、旋律線のなかで音程をとれるようになると思う。

もう1つはハーモニー。

アマオケ「東京ロイヤルフィル」に入ってからであるが、それまでのアマオケ(の指導者)と違って、合奏の音階練習に加えて、ハーモニーの基本練習を徹底していたことである。
とくに指揮者の要請があったわけではないが、メンバーによる自主的なウォーミングアップとして簡単な4声のカデンツ(終止形・・・単純な和音の進行・終止)をノンビブラートで練習していた。
トレーナーを兼ねたメンバー以外の団員も、「宿題」として持ち回りでハーモニーを作ってきたり、指揮台に立ってハーモニーを聴いたりした。ボクも自分なりに解決してないような変なカデンツを作ってきて、みんなの前で棒を振ったこともあった。
カデンツの合奏中は、ボクは自分流の「正しい」(と思い込んだ)音程で弾くのではなくて、全体のハーモニーを聴き(感じ)ながら臨機応変に音程を合わせる(溶かし込む)ということを経験した。
この経験がより「純度」の高いハーモニーへの志向となって、有志の間でもタリス・スコラーズのような古楽合唱の嗜好へ行き着いた。あるいは(ボクは中途半端にかじる程度に終わったが)「分離唱」という音感トレーニングの方法論を知ることもできた。
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職場の上司の演奏会案内(その2) [声楽曲]

また職場の上司が朝礼で、いきなり次の日曜日の演奏会の案内をして、ご自由にお取りくださいとチラシと入場整理券を置いていった。
上司の所属するオーケストラと合唱団の合同演奏会である。




宇治朝霧コーラス・カンマーフィルハーモニー京都 合同演奏会

Ⅰ 合唱 ステージ
 アヴェ・マリア(アルカデルト、カッチーニ、グノー)
 アヴェ・ヴェルム(フォーレ)
 アヴェ・ヴェルム・コルプス(プーランク)

Ⅱ オーケストラ ステージ
 シューベルト:「ロザムンデ」序曲
 R.シュトラウス:13管楽器のためのセレナード

Ⅲ ペルコレージ:「スターバト・マーテル」


指 揮  袖岡 浩平
管弦楽  カンマーフィルハーモニー京都
合 唱  宇治朝霧コーラス

2010年 9月 12日(日)
京都市呉竹文化センターホール(近鉄、京阪「丹波橋駅」西口前)

2:00 開演
入場無料


上司が出演するオーケストラの演奏会は、今までも何度もお誘いを受けながら聴きに行けなかったが、今回こそ聴きに行こうと思う。

合唱団との合同演奏は、ボクも東京ロイヤルフィル時代に3回ほど経験した。フォーレのレクィエム、ベートーヴェンのミサ曲、それと故 伴有雄先生の音楽葬で宇野功芳氏指揮のモーツァルトのレクイエム抜粋であった。
いつもオーケストラ曲ばかり演奏していると、たまに合唱や声楽と合わせるのは難しい面もあったが楽しいものであった。

上司の所属しているオーケストラの指揮者は、オーケストラと合唱団の両方の指導をされている方みたいなので、このようなマッチングになったのであろう。
宗教音楽を中心としたとても品のよいプログラムなので楽しみである。



≪追記 2010.9.12≫

行ってきました。

合唱は女声合唱でいわゆるママさんコーラスでした。
プーランクやフォーレなど和声的・ポリフォニックな曲も頑張っていたけれど、やっぱりグノーやカッチーニ(実はヴァヴィロフ作)のような旋律的な曲が、皆さん楽しそうに歌っておられて聴きやすかったです。

メイン曲のペルコレージは、オーケストラは弦楽合奏だけだったので、間にはさんだR.シュトラウスとシューベルトは管打楽器の出番を確保するための選曲だったようです。
R.シュトラウスの13管楽器のセレナードは雄大な曲想でしたが、どうしてもこの編成を聴いているとモーツァルトのセレナードを聴きたくなりました。
シューベルトでは唯一オケのフル編成を堪能しました。
カンマーフィルというだけあって比較的に小編成のオケだったので、ボクがかつて在籍していた「東京ロイヤルフィル」を思い出しました。管楽器に比べて高弦が薄かったのが物足りなかったです。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)はJ.S.バッハと同時代のイタリアの作曲家で、「スターバト・マーテル」は代表的な宗教楽曲です。
はじめて聴く曲でしたが、バッハの「マタイ受難曲」のような荘重な曲でした。
合唱も気合いが入っており、ソプラノ・アルトのソリストの美しい歌唱に聴き惚れました。
とくにフーガの楽章が2つあって、弦楽合奏も合唱も力強く盛り上がりました。


それほどレベルの高いアマチュアではないけれど、ご年配の奏者が頑張って弾いておられる姿が励みになりました。ちょっとしたアンサンブルの綻びがボクにはかえって生々しくて、自分がやっていたときと同じような親近感を抱かせました。
久しぶりにオケで弾いてみたい気持ちに駆られました。


ちなみにペルコレージの「スターバト・マーテル」は、合唱のないピリオド演奏版ですがこんな曲です。


Pergolesi: Stabat Mater (part 1)


Pergolesi: Stabat Mater (part 2)


Pergolesi: Stabat Mater (part 3)


Pergolesi: Stabat Mater (part 4)


Pergolesi: Stabat Mater (part 5)

クリストフ・ルセ指揮 ル・タラン・リリク
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グレツキ:交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」 [交響曲]

昨晩というか、すでに今日であったが、テレーマン指揮ウィーン・フィルのベートーヴェンがテレビで放送されているのを観ながら、いろいろあって夜更かししてしまった。
それでも今朝は5時に目覚まし時計で起きて休日の早朝ウォーキングに行った。
もともとは6時に起きてウォーキングしていたが、この夏は朝から暑いので5時半起きに繰り上げた。それでもまだ暑いので今朝は5時に起きた。
起きたときは少し薄暗くて、睡眠不足にもかかわらず快調にハイペースで目的地の運動公園まで歩いた。
この「行き」の道すがら、そして公園のベンチで休憩中に、グレツキの交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」を聴いた。


ヘンリク・ミコワイ・グレツキ(1933-2010)はポーランドの作曲家である。
小学校の教員であったが、一念発起して音楽学校に入り直して作曲家になった。いっときはパリでも勉強し音楽学校の校長にまでなったが、80年代まで世界的には目立った作曲家ではなかった。
ラジカルな「前衛音楽」が一段落して、聴きやすい現代音楽が求められるようになってから、グレツキは脚光を浴びるようになった。

この交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」(1976)も、ここで紹介するディヴィッド・ジンマン指揮ロンドン・シンフォニエッタのCDが1992年に発売されるや、クラシックの現代音楽作品(矛盾した表現だが)としては異例の大ヒットになって有名になった。

ボクも10数年前に東梅田の東通り商店街のDISC・PIERの店頭の試聴コーナーで気に入って衝動買いしたCDである。




http://www.hmv.co.jp/product/detail/58897[
グレツキ:交響曲第3番作品36「悲歌のシンフォニー」
ディヴィッド・ジンマン指揮 ロンドン・シンフォニエッタ
ドーン・アップショウ(ソプラノ)]



3つの楽章すべてがLentoである。古典的な交響曲のようにAllegro-Adagio-(Menuetto/Scherzo)-Prestoであったり、多少ともその形式は踏んだ「急-緩-急」の構成ではなく、「緩-緩-緩」である。
現代音楽のことはよくわからないが、ミニマリズムとかホーリーミニマリズムと呼ばれるスタイルの代表的な楽曲といわれている。
ミニマリズムというのは最小の動きを繰り返すような表現方法で、ホーリーミニマリズムというと、そこに宗教的・神秘的な意味合いが付加されるそうだ。


第1楽章 LENTO-SOSTENUTO TRANQUILLO MA CANTABILE

コントラバスのほとんど聴こえないくらいの弱奏による24小節の短調の旋律で始まり、この旋律がカノン(いわゆる輪唱の形式)で徐々に、しかも緩やかに弦楽器主体で高音楽器に受け渡され、分厚い和声に発展しながら繰り返されクレッシェンドされて盛り上がっていく。
そのピークで「聖十字架修道院の哀歌」(息子を思う母親の祈りの歌)が劇的にソプラノ独唱される。
その後は逆に分厚い和声の強奏から元のコントラバスだけの旋律まで、徐々にデクレッシェンドしていく。
独唱をはさんだカノンの延々とした「繰り返し」に意識が薄らいでいくような、ラリってしまいそうな効果があるいっぽう、有名なバーバーの「弦楽のためのアダージォ」のようにストイックで悲痛な曲想である。


    第1楽章(1/3)
    ディヴィッド・ジンマン指揮 ロンドン・シンフォニエッタ
    ドーン・アップショウ(ソプラノ)


    第1楽章(2/3)


    第1楽章(3/3)


第2楽章 LENTO ELARGO-TRANQUILLISSIMO

陽光に揺らめいた波間のような短い長調の繰り返しの旋律の前奏の後で、暗いソプラノ独唱が始まる。
独唱が強く盛り上がった合間にも前奏と同じ明るい旋律が繰り返されるが、やがて暗い独唱で悲痛に終わる。
ナチス・ドイツに囚われた18歳の女性が独房の壁に書き残した祈りの言葉であるらしい。

  お母さま、どうか泣かないでください。
  天のいと清らかな女王さま、
  どうかいつもわたしをたすけてくださるよう。
  アヴェ・マリア
  (同CDの歌詞訳より WARNER MUSIC JAPAN INC.)


    第2楽章 
    ディヴィッド・ジンマン指揮 ロンドン・シンフォニエッタ
    ドーン・アップショウ(ソプラノ)


第3楽章 LENTO-CANTABILE-SEMPLICE

暗く揺らめく旋律が伴奏音形として繰り返される上に、悲しげなソプラノ独唱が重なる。
ここで歌われるのはポーランド民謡であるが、年老いた母親が失った息子を嘆き悲しみ、祈りを捧げる歌である。


    第3楽章(途中から) 
    アントニ・ヴィト指揮 ポーランド国立放送交響楽団
    ゾフィア・キラノヴィチ(ソプラノ)
    (ジンマン盤YouTube動画はこちら


交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」は全楽章を通してゆったりとした「繰り返し」の穏やかなメロディーが基調になっているので、ヒーリングの曲としても愛されている。
また戦争や弾圧を背景にした「悲歌」を、強いインパクトで悲劇的に伝えるのではなく、気の遠くなるような穏やかさのなかで淡々と歌い上げているところに、じわじわっと伝わってくるような感動があると思う。


紹介CDおよびYouTube動画の第1/2楽章のジンマン盤は、ハーモニーを美しく聴かせる指揮者なので、ロンドン・シンフォニエッタの揺らいだ旋律の(不協和音も混じったような)響きが美しい。
アップショウの「歌い」過ぎない抑えた清楚なソプラノも美しい。

YouTube動画の第3楽章のヴィト盤はオーケストラがジンマン盤と比べると粗削りに聴こえる。キラノヴィチはちょっと声が太く、歌い過ぎているように思う。



≪追記 '10.11.20≫

作曲家ヘンリク・ミコワイ・グレツキ氏が11月12日に76歳で逝去。
シュリンパーさんの記事で初めて知りました。
合掌
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モーリン・マクガヴァン、ガーシュウィンを歌う [ポップス]

前回のヒラリー・コールで引き合いに出してしまったので、久しぶりにモウリーン・マクガヴァンを聴いてみた。




http://www.hmv.co.jp/product/detail/56022[モーリン・マクガヴァン、ガーシュウィンを歌う
Naughty Baby ~ Maureen McGovern sings Gershwin]

1 [Applause]
2 Stiff Upper Lip
3 Things Are Looking Up
4 (I've Got) Beginner's Luck
5 How Long Has This Been Going On?
6 By Strauss
7 Naughty Baby
8 Love Walked In
9 Embraceable You
10 Corner of Heaven With You
11 Somebody Loves Me
12 Little Jazz Bird
13 My Man's Gone Now
14 Porgy, I Is Your Woman (Bess, You Is My Woman)
15 The Man I Love
16 Piano Prelude I
17 Summertime
18 Strike up the Band
19 Fascinating Rhythm
20 Clap Yo' Hands
21 They Can't Take That Away from Me
22 'S Wonderful
23 They All Laughed
24 I Got Rhythm
25 Love Is Here to Stay/Of Thee I Sing

ライヴ録音(1988.11.20 ニューヨーク、クリントン・スタジオ)


ボクが持っているモウリーン・マクガヴァンの数少ないCDの中でもっともお気に入りのCDである。
ガーシュウィン作品が好きな人、ミュージカルやスタンダードナンバー、女性ジャズヴォーカルが好きな人にもお奨めのCDである。

それと、ガーシュウィンはフォーレやモーツァルトとならんで、ボクにとっての3大作曲家、これにバッハを加えて4大作曲家という思い入れがある。


アメリカの偉大な作曲家ジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)はもともとポピュラー音楽のソングライターとしてたくさんのヒット作を飛ばしていた。現代音楽の実験と称されたコンサートに「ラプソディー・イン・ブルー」を発表してから、一躍、クラシック作曲家としてもキャリアを積むようになった。
「ラプソディー・イン・ブルー」はグローフェにオーケストレーションを頼ったが、後にガーシュウィン自身も音楽の研鑽を積んで、ヘ調のピアノ協奏曲からはオーケストレーションも含んだ作曲を行うようになった。
クラシック作品としては

  ラプソディー・イン・ブルー (1924年、26歳)
  ピアノ協奏曲ヘ調 (1925年、27歳)
  パリのアメリカ人 (1928年、30歳)
  キューバ序曲 (1932年、34歳)
  歌劇「ポーギーとベス」 (1935年、37歳)

が有名である。いずれはそのあたりも記事に書きたいとは思っている。

でもガーシュウィンの本質は数多くのポピュラーソングにあると思う。
一般のクラシック作曲家の「歌曲」「声楽曲」くらいの位置づけである。ピアノやヴァイオリンなど器楽用に編曲された名曲もある。

ガーシュウィンの「歌曲」はジャズヴォーカルのアルバム中でよく取り上げられているが、ソングブックとしてまとまったものではエラ・フィッツジェラルドの3枚組CD "Ella Fitzgerald sings the George and Ira Gershwin Song Book" が、資料的な価値もあり、しっとりとした大人の歌を聴かせている。
しかしガーシュウィンばかりたくさん聴くには、エラ・フィッツジェラルドでは一本調子で飽きてしまう。

その点、モウリーン・マクガヴァンのコンサートのライヴCDは、変化に富んでいてすばらしい。
彼女はオリビア・ニュートン=ジョンと同年代で、「ポセイドン・アドヴェンチャー」や「タワーリング・インフェルノ」などのパニック大作映画のテーマ曲をヒットさせて有名になった歌手である。

音楽的な家庭に育って子どもの頃から歌の才能をしめしていたが、高校を卒業すると秘書の仕事に就きながらアマチュアのフォークバンドで歌っていた。
それがプロデビューしてほどなくして映画の主題歌でヒットチャート上位を飾り、さまざまな音楽賞をとった。
それ以降のヒット作に恵まれず、再び秘書の仕事に戻った。
ところが30代くらいでミュージカル女優として復帰し、オフブロードウェイで「サウンド・オブ・ミュージック」や「魅惑の宵」「王様と私」の主演を果たした。
ステージ活動でも「女性版シナトラ」と評されるまでのエンターテイナーに成長した。


ボクは中学生の頃、映画館で「タワーリング・インフェルノ」を観て、主題歌「愛のテーマ」"We may never love like this again"に魅せられてしまった。
当時のボクはお小遣いのほとんどをプラモデルに費やしていたが、ヴィヴァルディ「四季」、オリビアの「そよ風の誘惑」、それとモウリーンの「タワーリング・インフェルノ~愛のテーマ/わたしの勲章」のLP3枚だけは、お小遣いをやり繰りして買った。
いわば中学生のときからひいきの女性シンガーである。

当時から彼女は実力派シンガーでパワフルだったが、少々荒削りでもあったように思う。
それがミュージカルで活躍してから録音したガーシュウィンでは、驚異的なテクニックや表現力を持った歌手になっていた。

彼女ほど変幻自在に声色を変えたり、幅広い音域を駆使できる歌手はいないと思う。
ときにはしっとり、あるいは可憐であったり、繊細、パワフル、ノイジー、ファルセット、コロラトゥーラ...さまざまな表情や発声を使い分けている。

だからこのガーシュウィンのライヴでも、曲の持ち味に加え、表現の幅が広いのでまったく飽きさせることがない。

このアルバムでは"Embraceable You"、"Somebody Loves Me"、"The Man I Love"などのスタンダードナンバーに加え、"Strike up the Band"から"I Got Rhythm"に至るメロデーが圧巻である。
コロラトゥーラで「こうもり」の間奏を聴かせる"By Strauss"やオペラチックに歌う「ポーギーとベス」から"Porgy, I Is Your Woman"も感動的である。
ほんの一部だけであるがご本人のサイトで試聴できる。


YouTubeでは同じコンサートの"Little Jazz Bird"だけアップされていた。
ファルセットで歌うスキャットが美しい。
若い頃は「美人女性シンガー」としても売り出されていたが、動画ではその面影が薄れてしまってすっかりオバサンになっているのは残念である。


Little Jazz Bird


「ポーギーとベス」から3曲を歌ったコンサートでは、黒人バリトン歌手ジュビラント・サイクスとデュエットした"Porgy, I Is Your Woman (Bess, You Is My Woman)"もすばらしい。本来は黒人キャストで歌われるオペラなので視覚的な違和感が残るのはやむを得ないが、胸が熱くなる歌唱である。


歌劇「ポーギーとベス」より3曲
  I Got Plenty O'Nuttin'
  Bess, You Is My Woman
  Oh Lawd, I'm On My Way


バッハを歌った動画ではエンターテイナーとしての面目躍如である。


Maureen sings Bach


1934年のフレッド・アステア主演映画「コンチネンタル」の主題歌は、当時を偲んでレトロ調に録音していて楽しい。


The Continental


若い頃の映画音楽主題歌も懐かしい。


映画「ポセイドン・アドヴェンチャー」より「モーニング・アフター」


映画「タワーリング・インフェルノ」より
  "We may never love like this again "
  モウリーン本人の出演・歌唱シーン


映画「スーパーマン」より"Can you read my mind "
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Hilary Kole : You Are There ~duets [ジャズ]

ジャケ買いしてしまった...

5月に出張ついでに渋谷HMVに寄ってクラシックCDを買い込んだ帰りに、下の階のジャズ売り場の試聴コーナーで、ある女性シンガーのCDが目に留まり、ジャケ惚れしてしまった。試聴もしてとても気に入ったが、すでにたくさん買い込んでいたのでその日はそのCDをあきらめた。

その後、その女性歌手が誰だったかも、どんなCDだったかも思い出せずにいた。HMVやAmazonのサイトを見てもわからない。
地元の売れ筋しか置いてないようなCDショップではそれらしきCDを探し出せないまま悶々と過ごしていた。

昨日大阪で仕事をした帰り、CDショップに寄り道できるチャンスだったので梅田タワレコに寄った。するとジャズの試聴コーナーにあった。これだ!
男心をくすぐる魅惑的なジャケット写真、そして再度試聴してみたら...とてもよいのである。
これがヒラリー・コールの2ndアルバム"You Are There ~duets"である。
(実はこの2ndアルバムは8月にリリースしたばかりのようで、5月にボクの目に留まったアルバムは1stアルバム"Haunted Heart"だったようだ。そう思うと1stアルバムも聴きたくなった。)



 Hilary Kole : You Are There ~duets
   1. If I Had You
   2. Every Time We Say Goodbye
   3. It’s Always You
   4. Lush Life
   5. I Remember
   6. How Do You Keep The Music Playing
   7. But Beautiful
   8. Softly, As In A Morning Sunrise
   9. Strange Meadowlark
   10. Softly, As In A Morning Sunrise
   11. You Are There
   12. Two For The Road
   13. All The Way

正直言ってルックスに惹かれたのであるが、ルックス負けしない実力を持った歌手である。
5歳からピアノと歌を始めて、12歳で奨学金を受けて作曲の勉強もしていたらしい。ミュージカルの主演女優も務め、権威あるジャズクラブに最年少で出演したというから、いわばエリート中のエリートである。

このアルバム収録曲は、いずれもハンク・ジョーンズ、ミシェル・ルグランら12人の大御所のピアニスト・作曲家との"Duet"の演奏である。
バラード調のしっとりとした曲ばかりで、前半の曲は淡々とていねいに歌っている印象であるが、後半の曲からは盛り上がった歌唱を聴かせている。

ヒラリー・コールの歌はとてもていねいで、安定している。そしてクリアな美声である。ジャズというにはあまりに品がよく、優等生的に過ぎるかもしれない。
あえて難を言えば低音域で声が細くなることであろうか。モデル体型の限界か?もっと大柄な人でないとアルト音域はきびしいだろう。

どちらかというと、ボクが昔から好きだった女性ヴォーカリスト~モウリーン・マクガヴァンみたいな (マクガヴァンのパワーやテクニックには及ばないが) イージーリスニング・ヒーリング系に聴こえる。
"How Do You Keep The Music Playing"などはモウリーン・マクガヴァンのCDでも聴いているが、まるでヒラリー・コールはそれをお手本にしたみたいに情感込めて歌っているのだ。


ボクはほとんどクラシックCDばかりのなかで、最近女性ジャズヴォーカルのCDがわずかにコレクションの一角を占めるようになってきた。
いずれもジャケ買いであるが、ダイアナ・クラール、ソフィー・ミルマン、サラ・ガザレクと聴き比べても、ヒラリー・コールのヴォーカルは際立ってクリアである。
クリア → ハスキー の声質で比較すると

 ヒラリー・コール>サラ・ガザレク>ソフィー・ミルマン≫ダイアナ・クラール

であろうか。


このCDの収録曲のYouTube動画(音源)は見つけられなかったが、ヒラリー・コールのPVや自作曲の弾き語りがあった。ニュース番組ではインタビューがあったりして、ヒラリーの表情がよく伝わってくる。

ここまで勝手な感想を書いたが、このアルバム以外にもYouTube動画を観ていると、曲によってさまざまに歌い方や表情を使い分けていることがわかった。この人はとてつもない表現力を持っているようだ。



ヒラリー・コールのPV


ヒラリー・コール "Over The Rainbow"


ヒラリー・コール "Lullaby"


ヒラリー・コール ~ ニュース番組で歌う
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フォーレ レクイエム [声楽曲]

週末に1週間ぶりに自宅のメールをチェックしていて、びわこフィルのチェロ奏者の方の訃報が入っていた。
すでに葬儀も終えられた後であった。
まだボクよりも若い方で、ボクの妻と同い年くらいの主婦である。
かつてボクが在籍していたときも、とくに親しくお話しすることはなかったが、いっしょに練習し、同じステージにも上がった。
アマオケ2つを掛け持ちするくらいの熱心な方で、一所懸命チェロを弾いておられたお姿や、合間に見せた笑顔が今もボクの脳裏に浮かぶ。
5月のオーケストラの演奏会にも出演されていただけに、さぞご無念であっただろうと思う。
残されたご主人やお子様の気持ちを思うと胸が痛む。

心からご冥福をお祈りします。

天国ではチェロを好きなだけ弾いておられることだろう。


今年の正月に父を亡くしたときと同じように、こういうときにボクの心に浮かぶのはフォーレのレクイエムである。
ボクの父は演歌一辺倒の人であったからフォーレは似つかわしくないのであるが、彼女にはこの優しいレクイエムは宗教的に深く考えなければ、惜別に相応しい音楽かもしれないと勝手ながらに想像する。


1.成り立ち

ガブリエル・フォーレ(1845-1924)はサン・サーンスの弟子みたいであり、ラヴェルの師匠でもあった。フランスのロマン派~近代の作曲家であり、若いときはオルガニストでもあった。
歌曲、ピアノ曲、室内楽曲を主要なレパートリーとしたが、「レクイエム」はフォーレの作品中最も名曲として知られており、数ある「レクイエム」のなかでも珠玉の「レクイエム」であり、特異な「レクイエム」でもあるといわれる。

フォーレ自身は教会オルガニストを務めながらもけっして信心深い人ではなく、

「他人の信仰に敬意をはらう不信心者の作品である」
(ヴュイエルモーズ著『ガブリエル・フォーレ 人と作品』家里和夫訳・音楽之友社)

といわれている。
それまでのレクイエムでは常識であった「怒りの日」(神の厳しい審判を意味する部分)の楽章が省かれ、常套的なテキストもまるで歌曲でやるように部分的な削除や追加など改変を施し、形式的なレクイエムにおいてもフォーレはある意味斬新で好き勝手している。
フォーレは死者に対して厳しい音楽ではなく、あくまでも清らかな優しい音楽を捧げたかったようだ。


2.構成・編成

 フォーレ レクイエム 作品48
   第1曲 入祭唱とキリエ
   第2曲 泰献唱・・・バリトン独唱含む
   第3曲 サンクトゥス
   第4曲 ピエ・イエズ(慈悲深きイエズスよ、主よ)・・・ソプラノ独唱
   第5曲 アニュス・デイ
   第6曲 リベラ・メ・・・バリトン独唱含む
   第7曲 イン・パラディスム(楽園にて)

フォーレ指揮の初演時の第1稿(1887-1888)では、「泰献唱」と「リベラ・メ」を除く5曲であった。ソプラノ独唱と合唱、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、独奏ヴァイオリン(「サンクトゥス」のみ)、ハープ、ティンパニ、オルガンという編成で、オーケストラは弦楽合奏であった。

第2稿(1888-1894)ではバリトン独唱を含んだ「泰献唱」と「リベラ・メ」が追加され、現在の原典版(1888/1893バージョン)と呼ばれる編成になった。最近になってヘレヴェッヘやガーディナーによる演奏で有名になった。バリトン独唱に、ホルン、トランペット、トロンボーンが加わったが木管はない。あくまでもヴァイオリンはソロ1本だけであった。

第3稿になって、木管・・・フルート、クラリネット、ファゴットが加わり、ヴァイオリンもソロからテュッティに厚くなった。これが通常にオーケストラ演奏される版である。
フォーレ自身は出版社に頼まれてしょうがなしにこの「通常版」を作った。本当は室内楽編成とボーイソプラノの起用を望んでいたらしい。

いずれもヴァイオリンは1パートのみで出番が少ない(第1曲、第2曲はない)。第1ビオラ、第2ビオラ、第1チェロ、第2チェロ、コントラバスと弦セクションは中低声部を重視した編成である。

ちなみに「国際楽譜ライブラリープロジェクト」より第2稿(原典版、室内楽版)、第3稿(通常版)のフリーのスコアを閲覧できる。


3.CD

この曲の聴き始めはLPで

 (1)ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団
   シーラ・アームストロング(ソプラノ)
   ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ(バリトン)
   エディンバラ・フェスティバル合唱団

を、学生のときからポケットスコア片手に聴いていたが、もう長い間聴いていない。わかりやすい演奏だったと思う。フィッシャー・ディースカウの独唱が雄弁で力強かった。

CDになってからは長い間

 (2)ミシェル・プラッソン指揮 トゥールズ・キャピトル劇場管弦楽団
   バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)
   ヨセ・フォン・ダム(バリトン)
   サン・セバスチェン合唱団

を愛聴していた。プラッソンのフォーレ管弦楽曲全集がよかったので購入したが、今聴くとテンポはとてもゆったりしていて、くすんだ音色である。
ヘンドリックスのソプラノは透明感があって昔は好きであったが、ヘレヴェッヘ盤を聴くようになってから、抑揚の大きいビブラートが不純にさえ聴こえるようになってしまった。

 (3)ルイ・フレモー指揮 モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団
   ドゥニ・ティリニ(ボーイ・ソプラノ)
   ベルナール・クリュイセン(バリトン)
   フィリップ・カイヤール合唱団

これはデュリュフレ「レクイエム」自作自演盤との2枚組CDで買った。録音は古いがテンポは遅過ぎずに聴きやすい。ボーイソプラノはよく言えば純粋無垢であるが、あまり上手くない。もっと上手なボーイソプラノもあっただろうにと悔やまれる。

そして、いちばん気に入っているのは第2稿原典版による演奏

 (4)フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 シャペル・ロワイヤル
   アグネス・メロン(ソプラノ)
   ペーター・クーイ(バリトン)
   アンサンブル・ミュジック・オブリーク

のCDである。
初めてこのCDを聴いたときには、「通常版」に聴き慣れた耳にはヴァイオリンソロが鮮烈に聴こえた。
ヘレヴェッヘは古楽合唱・ピリオド演奏も手がける指揮者だけあって、とにかくハーモニーの美しさが格別である。
室内楽編成なのでハーモニーの純度が高いとも思う。
とくにピエ・イエズのビブラートも抑揚も控えめなソプラノ独唱には癒される(下記動画参照)。
ちなみにヘレヴェッヘは後に「通常版」も録音している。

 (5)エミール・ナウモフのフォーレ:レクイエム(ピアノ独奏版)

フォーレ:ピアノ曲全曲チクルス」の記事でも取り上げたが、エミール・ナウモフのピアノ独奏編曲版も、逆に「通常版」から究極に引き算して、そのエッセンスだけを抽出したような演奏で聴き応えがある。フォーレの作曲過程ではこんなんだったんだろうかとも想像する。ピアノ独奏を聴いていても頭の中では合唱や独唱が鳴ってしまうところが、ふつうのピアノ曲と違った味わいである。


4.参考動画

「通常版」の定評ある名演奏の動画を見つけられなかった。
ヘレヴェッヘの「原典版」から3曲を紹介する。


第3曲 サンクトゥス 


第4曲 ピエ・イエズ


第7曲 イン・パラディスム


ボクが最近気になっている女流指揮者で、アーノンクールにも師事したという合唱指揮者ロランス・エキルベイの動画(音源)も貼り付ける。
このプロモーションビデオは「レクイエム」のハイライトをうまくまとめている。

 
エキルベイ指揮 フォーレ「レクイエム」プロモーションビデオ


エキルベイ指揮 第4曲 ピエ・イエズ


エキルベイ指揮 第6曲 リベラ・メ


それと、エミール・ナウモフのピアノ編曲版より


第7曲 イン・パラディスム


5.ボクの思い出

ボクはフォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番に聴き惚れてしまって以来、フォーレはいちばん好きな作曲家である。最初は室内楽を聴いていたが、3大レクイエムの1つに数えられ、名曲の誉れ高いフォーレ「レクイエム」もバレンボイムのLPで愛聴した。
INTERNATIONAL MUSIC COMPANY のポケットスコアを買って、ひたすら聴き込んだ。
ボクは楽器に頼らなければ音程は取れないのだけれど、楽譜の音形を見ながら聴き覚えた旋律を思い浮かべることはできた。

就職して間もない頃、2ヶ月間、地方の工場で研修勤務を命じられた。国民宿舎に泊まって夜勤で工場のラインに立った。夜勤はきつく、日中に宿舎で休憩するときに、まだウォークマンなどなく大きなラジカセも持ってこれなかったので、ポケット・スコアを眺めては頭の中でフォーレ「レクイエム」を流していて、これが安らぎであった。

その数年後の東京勤務時代にはアマオケ「東京ロイヤルフィル」に入団して、モーツァルトを中心に充実したオケ活動ができた。
やがて大阪に戻ることになったが、戻った直後の演奏会がフォーレの「レクイエム」に決まった。
ボクは大阪に戻った後も、出張や私費で江東区の練習会場に通ってなんとか本番に出演できた。
このときのプログラムが

 1.モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲
 2.モーツァルト 交響曲第36番「リンツ」
 3.フォーレ 「レクイエム」
 アンコール フォーレ 「ラシーヌ賛歌」
 
 梅村 榮 指揮/東京ロイヤルフィルハーモニーオーケストラ
 常森寿子(ソプラノ)、小松英典(バリトン)
 井上圭子(オルガン)
 合唱:マイスターコーア
 1988年 4月 17日 石橋メモリアルホール

である。


当時のチラシ

本番のときの感動は筆舌に尽くしがたい。
井上圭子さんは当時アイドル並みに可愛いルックスの方であったが(現在も美しい方である)、オルガンの響きがホール全体に、そしてボクの身体中に響き渡ったのを感じていた。
レクイエムではコンマス以下ヴァイオリンの実力者のほとんどはビオラに持ち替えて弾いていた。
ビオラを弾けず、持ってもいないボクは出番の少ないヴァイオリンであったが、だからこそステージ上で合唱・独唱・オルガン・オーケストラの演奏を堪能した。
聴き惚れてわずかな出番を落としそうになるくらいであった。
アンコール曲は合唱側からフォーレの「パヴァーヌ」か「ラシーヌ」のどちらかということで、ボクの希望の「ラシーヌ」を通させてもらえたのが嬉しかった。
もちろん前半のモーツァルトの選曲といい、なんとお洒落なプログラムであったろうかと今思い出しても感慨深い。



≪追記 2010.8.22≫

第2稿(原典版、1888/1893 version)のスコア(フリー楽譜)を印刷・製本して眺めながら、ヘレヴェッヘ盤やエキルベイ盤を聴いてみたところ、おやっと思う箇所があった。
基本的には第2稿なのであるが、ところどころ違うことをやっている。

ボクが気付いたのは、

・第2曲 泰献唱
 オルガンソロの部分がホルン?の重奏に変えられている
・第6曲 リベラ・メ
 6/4拍子に変ったところのホルンのファンファーレが、楽譜では第3稿と同じ、2部音符のタイの音形のところが、4分音符の3連符になっている。
・第7曲 イン・パラディスム
 拍頭のコントラバスのピチカートの箇所が楽譜よりも多い。

などである。

ヘレヴェッヘもエキルベイも同じようにやっているので、第2稿にまとめられるまでにも過渡的な版があったようだ。
というか、フォーレはオーケストレーションに藻頓着な人だったようなので、演奏のたびに行き当たりばったりの間に合わせで済ませていたのかもしれない。


≪追記 2010.10.6≫
 
アンゲルブレシュト&フランス国立放送管弦楽団 の1955年モノラル録音が「クラシックmp3無料ダウンロード著作権切れ歴史的録音フリー素材の視聴、試聴」のサイトでダウンロードできたので、今日の木更津方面日帰り出張の新幹線車内でじっくりと聴いてみた。
第3稿であるが、これがとてもよい演奏であった。
オケは中低音ばかり聴こえて高音部が弱かったり、合唱は女性パートばかり聴こえてバランスが悪いが、音質そのものは少々硬いなりに良好である。
最近の録音のように耳当たりのよいミキシングなどされてなく、ストレートな録音のままであるが、それがとても自然に聴こえた。
何よりもソプラノとバリトンの独唱がまろやかで美しい。ただ1曲だけのソプラノ独唱の良し悪しが、その録音の「聴きたい/聴きたくない」を左右すると思うが、この録音は間違いなくこれからも「聴きたい」演奏であった。
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バッハ「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」BWV639 [器楽曲]

J.S.バッハ(1685~1750)はワイマール時代と呼ばれる時期(1708~1717、23~32歳)に、ザクセン=ワイマール公国の宮廷オルガニスト、後に宮廷楽団楽師長に就任し、若きオルガニスト・ヴィルトーゾとして活躍し、有名な「トッカータとフーガニ短調BWV538」などを残している。
この時期のオルガン小曲集BWV599-644として、ルター派讃美歌の前奏曲として45曲(46曲?)のコラール・プレリュードを作った。
そのなかでもとりわけ有名なのが

コラール前奏曲「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」
          "Ich ruf zu dir,Herr Jesu Christ." BWV639

である。

もともとの讃美歌は次のようなものであったらしい(讃美歌の楽譜も探したが見つけられなかった)。

 わたしはあなたに呼びかけます、主 イエス・キリストよ、
 わたしは願います、わたしの嘆きをお聞きください
 この日々の間、私に恵みをお与えください、
 わたしをどうか怯えさせないでください。
 真の道(信仰)を、主よ、わたしは思います、
 あなたはわたしにそれを与えることを望んでいると、
 あなたの為に生き、
 わたしの隣人に役立ち、
 あなたの言葉をそのまま守る為に。


ボクはまださしてバッハに興味を持っていなかった頃、タルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」(1972年、ソ連)を観て、テーマ曲だった電子音楽編曲でこの曲を知った。
この映画はボクの「マイベスト1」ともいえるほどのめり込んだ映画で、東京勤務時代はまだビデオなど持っていなかったので、ミニシアターでリバイバル上映されるのを仕事帰りに観に行った。

映画の美しさとこの曲の美しさはボクのなかでは渾然一体となっている。
この曲を聴くたびに、川の水流になびく水草や美しくも哀しいヒロイン・・・ハリーの姿が浮かんでくる。


タルコフスキーの「惑星ソラリス」は、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの"SOLARIS"(邦訳「ソラリスの陽のもとに」ハヤカワ文庫)を原作とした映画である。

惑星ソラリスの探査ステーション内で科学者たちに異常事態が起こっていることから、心理学者ケルビンが調査に送り込まれた。
ステーションに着くなり、ケルビンは科学者以外にいるはずのない「人影」を見かけるなど異変に出会った。やがてケルビンの身にも、むかし自分が原因で自殺したはずの妻ハリーが現れ、哀しい逢瀬を重ねていく。
自分が本当の妻でも人間でもないことに気付いたハリーが、それでも夫ケルビンのことを愛していて、周囲の科学者たち以上に自己の存在について人間的に苦しむ...といった姿が切なく美しい。

タルコフスキーの映画は原作以上に「人間とは何か」という哲学的とも宗教的ともとれる「問い」を突きつけている。
そこに流れるバッハのコラール・プレュードBWV639が、さほど甘美なメロディでもなく、禁欲的に感情が抑えられているものの、素朴な美しさを湛えていて、胸に響く。


ボクはずいぶん昔にLEA POCKET SCORESのJ.S.BACH "THE COMPLATE ORGAN WORKS VOL.II"のスコアを買っていた(現在ならフリー楽譜がダウンロードできる・・・P.55)。
この曲の演奏の入った


ヘルムート・ヴァルヒャ J.S.バッハ:オルガン作品集II 

と併せて買っていたようである(現在は違ったアンソロジーで「オルガン名曲集」になっている)。ヴァルヒャは速いテンポであまりにそっけなく弾いている。
YouTube動画のトン・コープマンはとてもゆったりと演奏している。


トン・コープマン(オルガン)


右手(ソプラノ)、左手(テノール)、ペダル(バス)の3声で書かれた曲を、このスコアをもとに友人らとヴァイオリン・ビオラ・チェロの弦楽トリオで遊び弾きしたこともあった。

ほぼ原曲のスコアを楽譜作成ソフトPrintMusic 2008Jに入力・MIDI出力した動画を作成したので、動く譜例として参照していただきたい。テンポはヴァルヒャに近い早い設定にした。


J.S.バッハ:オルガン(オリジナル)版 譜例(PrintMusic 2008J)


この曲はピアノ曲としてもブゾーニやケンプの編曲が有名である。
ブゾーニ版は


アンヌ・ケフェレック J.S.バッハ:作品集 ~主よ人の望みの喜びを

に入っている演奏を愛聴している。
ケフェレックは情感たっぷりに弾いている。

Youtube動画では、ホロヴィッツのブゾーニ版、ケンプ自身のケンプ版の演奏を紹介する。ケンプ版のほうがオリジナルに忠実なようである。


ウラディミール・ホロヴィッツ演奏(ブゾーニ編)



ウィルヘルム・ケンプ演奏(ケンプ編)

ブゾーニ版もフリー楽譜を入手できたので、PLAYLOG休止中に打ち込んで、動く譜例を作ってみた。ピアノ版はオルガン版より記譜がややこしく、制約の多い楽譜作成ソフト上では入力レイアウトするのに少々手間取った。
MIDI出力では音が汚いしバス声部がうるさいが、オリジナルのハ短調がフラットが1つ増えてヘ短調になっている他、バス部の音を分厚く重ねてデモーニッシュに響き、終止部分の繰り返しが追加されている。


J.S.バッハ/ブゾーニ編:ピアノ版 譜例(PrintMusic 2008J)


最後にタルコフスキーの映画「惑星ソラリス」より、この曲の流れる美しいシーンである。
もうボクはこの文章を書いているだけで、映画の場面が浮かんで涙が出てきた...


映画「惑星ソラリス」より
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