ジョスカン・デ・プレ:ミサ曲「パンジェ・リングァ」 [声楽曲]
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・ミサ曲「パンジェ・リングァ」(舌もて語らしめよ)
・ミサ曲「ラ・ソ・ファ・レ・ミ」
ピーター・フィリップ指揮 タリス・スコラーズ]
ジョスカン・デ・プレ(1440?-1521)はフランス北部あたりの出身で、ルネスサンス時代のフランドル楽派とよばれる作曲家・声楽家である。レオナルド・ダ・ヴィンチと親交があったともいわれている。
はるかバロック音楽以前、ヴィヴァルディやJ.S.バッハより200年以上も前である。
いわゆる Early classical music のジャンルで、ボクはこの曲も含めてCD4作品くらいしか聴いてないので、生半可な知識しか持っていない。
ジョスカン・デ・プレはフランスやイタリアで宮廷や教会で活躍していて、当時の最高の作曲家と称されていた。
フランドル楽派としては、ギヨーム・デュファイ(1400-1474)やヨハネス・オケゲム(1410-1497)の系譜の大作曲家であったといわれている(いずれこのあたりを聴き深めていくうえで関わってくる作曲家だろう)。
ミサ曲「パンジェ・リングァ」はジョスカン作曲の名曲として、合唱作品、宗教音楽として親しまれている。4声のア・カペラの合唱曲である。
Kyrie eleison 憐れみの賛歌
Gloria in excelsis 栄光の賛歌
Credo 信仰宣言
Sanctus 感謝の賛歌
Agnus Dei 平和の賛歌
の5曲で構成されているが、この曲のモチーフであるグレゴリオ聖歌"Pange Lingua"(邦題「舌もて語らしめよ」あるいは「声をかぎりに」)がこのCDの冒頭で歌われている。
グレゴリオ聖歌は9世紀以降に教会の典礼音楽として、無伴奏・単声の聖歌として伝承・発展してきたといわれる。ボクの素人主観としてはお経のようにも聴こえる。
グレゴリオ聖歌は、教会旋法といって12音よりも少ない音階による単声音楽ながらも、その後のポリフォニー(多声音楽)の発展に寄与してきたといわれる。
1つは分散和音的に、あるいは曲によっては離れた音の高低が二声の進行のように聴こえたり、教会の残響で和声的に聴こえたり、この曲のようにポリフォニー音楽の素材としても扱われてきたりと、影響したのであろう。
ミサ曲「パンジェ・リングァ」は、5曲ともグレゴリオ聖歌"Pange Lingua"を展開したといわれているが、ボクには1曲目の"Pange Lingua"を展開したKyrieをモチーフに、残り4曲が連なっているように聴こえる。
イギリスのヴォーカルグループ「タリス・スコラーズ」は総勢8名ほどで、女性ソプラノ、カウンターテナー、テノール、バスの4声合唱で演奏している。
この演奏のお奨めは「純度」の高さである。
編成が大きくなったり、調性的に発展するにしたがい、音楽は複雑になって(それだけに醍醐味が増し、面白くもなるが)、純粋な響きから遠のいていると思う。
現在聴いているたいがいの音楽では、ハーモニーの広い「誤差範囲」を、幅広いビブラートや人数(豊かな倍音)による分厚い響き(揺らぎ)や音色でカバーしているので、それを音響的には「美しい」と感じている。
それに慣らされた耳には十分ではあるが、たまにはあっさり・さっぱりとした「基本」に立ち帰りたいと思う。
だからといってグレゴリオ聖歌ではあまりに禁欲的過ぎて楽しめない。ちょうどよいところが、このルネスサンスのシンプルな多声曲である。
この曲に限らず、タリス・スコラーズはビブラートを極力抑えて、少人数によるア・カペラ合唱であることで、濁りの少ない「純度」の高いハーモニーを聴かせている。
ちなみに同じくルネスサンス音楽でピエール・ド・ラ=リューのレクイエムを歌ったホルテン指揮アルス・ノヴァのア・カペラ合唱のCDもたまに聴いているが、タリス・スコラーズほどにはビブラートが抑制されていない。アルス・ノヴァは「ふつう」の合唱よりははるかに透明感はあるが、ビブラートの箇所に濁りが感じられるので「純度」の点で物足りない。
やはり「純度」の高さはタリス・スコラーズならではと思う。
平均律に対して純正調のハーモニー(に近い)ということもあるだろうが、このあたりの議論には自信がないのでさらっと流しておこう。
この曲に限らずタリス・スコラーズの演奏を聴いていると、心が洗われるとか、癒されるとか気分的なものにとどまらず、もっと感覚的に耳が澄んでいくように思う。
YouTube動画では、タリス・スコラーズの演奏ではないが、初めにグレゴリオ聖歌"Pange Lingua"を紹介する。
グレゴリオ聖歌"Pange Lingua"
ここからがジョスカン・デ・プレ作曲 ミサ曲「パンジェ・リングァ」で、タリス・スコラーズの演奏である。
ミサ曲「パンジェ・リングァ」 Kyrie、Gloria
ミサ曲「パンジェ・リングァ」 Credo
ミサ曲「パンジェ・リングァ」 sanctus & benedictus
ミサ曲「パンジェ・リングァ」 agnus dei I,II,III
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ボクはヴァイオリン演奏やアマオケプレーヤーとして音楽を楽しみながらも、自身の発声は苦手なのでもともとは声楽や合唱には(好きな作曲家からの派生以外では)興味がなかった。
というか、たいがいはゴージャスなオーケストラ曲やシックなピアノ曲あたりからクラシック音楽にハマっていくものだと思う。
そんなボクが声楽や合唱を好んで聴くようになったのには2つの理由がある。
1つはヴァイオリン演奏するうえでの「歌」(カンタービレ)。
レッスンでもオケでももっと歌うようにと要求される。「歌」とは何か、基本は人間の発声する音楽の抑揚であり、自分で歌うのが苦手であれば、せめて「歌」を聴いて味わえるようになりたいと、ドイツ歌曲(リート)ならシューベルト、フランス歌曲(メロディ)ならフォーレを好んで聴くようになった。
それと、楽器でも歌うように演奏することで、より音程がよくなっていくとも言われたことがあった。淡々と楽譜どおりに弾くだけでは、自分のテキトーなクセのある音程でなぞってしまうだけであったが、「歌」を意識することによって、旋律線のなかで音程をとれるようになると思う。
もう1つはハーモニー。
アマオケ「東京ロイヤルフィル」に入ってからであるが、それまでのアマオケ(の指導者)と違って、合奏の音階練習に加えて、ハーモニーの基本練習を徹底していたことである。
とくに指揮者の要請があったわけではないが、メンバーによる自主的なウォーミングアップとして簡単な4声のカデンツ(終止形・・・単純な和音の進行・終止)をノンビブラートで練習していた。
トレーナーを兼ねたメンバー以外の団員も、「宿題」として持ち回りでハーモニーを作ってきたり、指揮台に立ってハーモニーを聴いたりした。ボクも自分なりに解決してないような変なカデンツを作ってきて、みんなの前で棒を振ったこともあった。
カデンツの合奏中は、ボクは自分流の「正しい」(と思い込んだ)音程で弾くのではなくて、全体のハーモニーを聴き(感じ)ながら臨機応変に音程を合わせる(溶かし込む)ということを経験した。
この経験がより「純度」の高いハーモニーへの志向となって、有志の間でもタリス・スコラーズのような古楽合唱の嗜好へ行き着いた。あるいは(ボクは中途半端にかじる程度に終わったが)「分離唱」という音感トレーニングの方法論を知ることもできた。