ドヴォルザーク:弦楽セレナーデ [管弦楽曲]

最近は声楽や合唱に関係した記事ばかりになってしまったので、今回は弦楽合奏の名曲・・・ドヴォルザークの弦楽セレナーデを取り上げる。
(今朝の早朝ウォーキングでもウォークマンのプレイリスト登録した3つの演奏を改めて聴き比べていた)


ボクはアントニン・ドヴォルザーク(1841-1901)の曲は苦手で敬遠しがちである。東欧・ロシアの国民楽派と呼ばれる音楽はあまり好きではない。
とくにドヴォルザークは土臭いというか、泥臭いイメージが先行して、ついていけないのだ。
アマオケではとくに管楽器奏者に人気の高い交響曲第8番やスラヴ舞曲集にしても、室内楽では弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」やピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」にしても、泥臭いメロディーや土俗的なリズムが鼻について苦手なのである。

と言いつつも、実のところボクの偏見であり、聴かず嫌いであることはわかっている。

泥臭いと言いながらも「演歌」のようなメロディーがふんだんに散りばめられた、交響曲中でも最もミーハーな交響曲第9番「新世界より」は大好きなのである。
「新世界」は第1回国民文化祭の合同オーケストラに参加してスロバキアの指揮者オンドレイ・レナルト氏に振ってもらった演奏経験がある。ただ「外タレ」に振ってもらったというだけでボクは有頂天に感動して「新世界」が好きになってしまった。
この曲ほど能天気に楽しんで弾ける曲はなかなかないと思う。

もう1曲「弦楽セレナーデ」もドヴォルザークのなかでは例外的に大好きな曲である。
ボクはこの曲はについては有志と遊び弾きして難しかったというくらいの演奏経験しかない。
ドヴォルザークが1875年にブラームスが審査員を務めた作曲賞を受賞し、尊敬するブラームスに認められた直後に2週間足らずで書き上げた曲だといわれている。それだけに前向きな喜びや希望を感じさせる作風に思える。
ドヴォルザークのなかでも比較的に泥臭さが少なく、洗練された美しさを湛えた曲だと思う。弦楽合奏の究極の美しさを現している。
甘美でありながらも、同じく有名なチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」ほどは甘ったるくないところもいい。

             *     *     *

「弦楽セレナーデ」は実演はアマチュア弦楽合奏の危うい演奏しか聴いたことがない。アンサンブルの難しい曲なのだ。

CDではメジャー指揮者+メジャーオーケストラや東欧系演奏団体による演奏が一般的かもしれないが、ボクが聴いている3枚はいずれも民族色よりもアンサンブル偏重でちょっと異色の演奏かもしれない。 

(1)http://www.arkivmusic.com/classical/album.jsp?album_id=146800[クリストファー・ホグウッド指揮
  ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
   ・ドヴォルザーク:管楽セレナード ニ短調op.44
   ・ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調op.22 ]


(2)http://www.hmv.co.jp/product/detail/1997616[長岡京室内アンサンブル(音楽監督: 森悠子) 
   ボヘミアからの風
   ・スーク:弦楽セレナード 変ホ長調 作品6
   ・ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調 作品22
   ≪ボーナスCD≫
   ・ヴィヴァルディ: 協奏曲集作品8「四季」
   ・ヴィヴァルディ: フルート協奏曲「海の嵐」]

(3)オルフェウス室内管弦楽団
   ・チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調op.48
   ・ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調op.22
   ・ヴォーン=ウィリアムズ:グリーンスリーヴズによる幻想曲    



(1)のホグウッドは1970~80年代にピリオド(古楽器)演奏の雄として大活躍した人で、エンシェント室内管弦楽団とのモーツァルト交響曲全曲録音で清新な演奏を聴かせていた。もともとはネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団のメンバーでチェンバロ奏者/校訂スタッフでもあった。
当時は古楽畑からモダンオケ・・・ロンドンフィルを振ってのドヴォルザークは意外な組み合わせであった。
今は入手困難なCDのようであるが、ボクはこのCDは名演奏だと思う。フルオケの弦セクションで人数は多いが、厚ぼったくならずアンサンブルは緻密で、しかも「弦」が豊かで、濃い演奏である。1stヴァイオリンが微妙にピッチを上ずらせて「濃厚感」を漂わしている。テンポの緩急、抑揚、そしてスリリングで、弦楽合奏の美しさが最高であると思う。


(2)の長岡京室内アンサンブルは指揮者なしの小編成アンサンブルによる演奏である。
ボクが一度だけ長岡京室内アンサンブルのコンサートに行ったときは、ヴァイオリン:7、ビオラ:3、チェロ:2、コントラバス:1の編成で、チャイコ弦セレやモーツァルト「アイネク」などを聴いた。
このCDは、ボクが所属していたアマオケ「東京ロイヤルフィル」の代表であった西脇義訓氏が本職はレコーディングプロデューサーで、フィリップスレーベル退職後に独立された fine NFレーベル で制作・販売している。CD・SACD兼用のCDでたいへん高価であるが入手しやすい。
西脇氏は東京ロイヤルフィルのときもアマオケなりに理想のハーモニーを追求していた方だけあって、内外のプロ演奏家とのパイプを生かして、JAO(日本アマチュアオーケストラ連盟)のキャンプ等でも森悠子氏ら著名演奏家を招いて啓蒙活動を繰り広げておられる(参考:JAO機関紙2011年国民文化祭関係記事)。

長岡京室内アンサンブルの音楽監督・ヴァイオリニストの森悠子氏は故齋藤秀雄氏の弟子で長く海外でアンサンブル研鑽を積んでこられた方で、アンサンブルのスペシャリストである。「合わせる」方法として「聴いて」「見て」合わせるというだけではなく、武道のような「間合い」や「気」などを取り入れて指導されている。
例えば、メンバー全員をあえて互いに見えないように立たせて、集団のなかで「気」を感じたり、「呼吸」を合わせることによって、「合わせる」といったトレーニングを積んでいる。
長岡京室内アンサンブルは国内の新進気鋭奏者を集めたアンサンブルであるが、森悠子氏のもとで精緻なアンサンブルと純度の高いハーモニーを追求している。
この演奏のハーモニーの透明感は他では味わえないと思う。ピリオドアプローチを取り入れた演奏でところどころノンビブラートでふわっとハーモニーを響かして美しい。「透明感」というと、言い方をかえれば少人数の薄さでもあるが、微妙な間合いや揺らぎも自然で流れるような演奏である。


(3)のオルフェウス室内管弦楽団も指揮者なしのアンサンブルで、アメリカ在住のハイレベルの演奏家によって、アンサンブルの極限を追求してきた団体である。
こちらは長岡京の「集団型」とは違って、メンバー個々の演奏能力を結集してアンサンブルを追及しているように思う。
ところどころ「合わせる」ことが目的になり過ぎているようで、発音のアクセントがきつい(音のエッジを立て過ぎている)のが気になる。自発的で上手い演奏であるが、(1)(2)に比べると音楽性が薄いように思う。

             *     *     *

YouTube動画は、ヤロスラフ・クレチェク指揮/カペラ・イストロポリターナによる演奏が、全曲アップされていたので貼り付けた。音源はNAXOSのCDなので廉価で入手しやすい。
スタンダードというか穏やかで「民族的」な演奏だと思うが、ゆったりとし過ぎていて少々土臭さが鼻につく。

ちなみに動画の絵は、スペインのキュビズムの画家ファン・グリス
(Juan Gris、1887-1927)による。


1.Moderato


2.Tempo di Valse


3.Scherzo:Vivace


4.Larghetto


5.Finale:Allegro Vivace

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